palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

守られて生きる女の人の柔らかさ

「おとうさん」と夫を呼ぶ、そのなだらかな頬の優しさ

ヴォイストレーニングの先生の奥さまとランチをした。
先生と奥さまは、どちらも私の友人。
今日は奥さまから間接的に先生のお仕事の話などを
聞きながら、平日の女性達で席が埋まったレストランで
日差しを浴びながら、のんびりとした会話を愉しんだ。

この穏やかさは、奥さまのおかげ。
先生とはどうしても「単価」「顧客層」「プログラム」
こんな単語が続く会話になる。
でも彼女とは、娘のこと、息子さんのこと、
ふんわりと、おはなしできる。

「おとうさんが…」
先生のことをこう呼ぶときの表情があどけない。
守られて生きる女の人特有の安心しきった顔。
そのなだらかな頬に浮かぶ信頼と愛情に、
かつては私も守られる妻であったのだと
懐かしさと微かなさびしさを呼びおこされる。

「とてもそんな風にみえない」
私を見て、シングルマザーの気配を感じないと
言ってくださるけれど、自分が変わったことは
私が一番よく知っている。

背筋を伸ばし、ハイヒールをはいて人生に挑む今の
自分が、のびのびしていて私らしいと思う。

性別を超えた人間同士としてつきあえる、
「武士は相見互い」とでもいうべき男友だちにも、
おかげさまで恵まれた。

でも二人のように対として生きる人生の片割れには、
まだ巡りあえていない。
そういうことは、仕事のめどが立つまでお預けに
しているのだ。

仕事に行き詰っても、娘が気持ちを爆発させても、
たとえ友人たちの温かい支えはあっても、今の私には
後ろから抱きつきたい相手はいない。
「だいすき」という言葉は娘だけにしか発していない。

誰かをもういちど愛したいと、彼女と話して思った。

つっぱって生きてはいないと自分を点検してみて感じる。
でも守り守られる相手がいる女の人特有の柔らかさは、
頑丈に鍵をかけた心の引き出しに仕舞いこんである。

柔らかさを、もう一度取り出す日はいつになるだろう。

わからないけれど、彼女の柔らかさのオーラは今も
ふんわりと私を包んでいてくれる。