palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

子どもと担任の先生と私が決めたこと

転校はしない、この学校、この場所で生きる

娘が高学年になった頃から特に、友人関係で親子共に悩んできた。

昨年度は学校を休み、転校を真剣に考えたが、今年は娘の大好きな先生が担任になられ、

娘から「前の組が良かった。」という愚痴を聞かずに過ごせた初めての春。少しは状況は改善している。

けれど相変わらず、女子同士の付き合いが苦手で、読書三昧の学校生活。

男子がこういった、○○さんがこんな風に睨んだなど細々とした出来事を毎晩聞くのが

母親である私の日課。


決して居心地の良い場所ではない学校へ「不登校にはなりたくない。」と

毎日通学しているだけで充分だと思っている。


だけど娘専属のママ兼カウンセラーを努めているうちに辛くなってきた。

転校はせず6年生まで現在の小学校に通う!という娘の意志を尊重したが、これで良かったのか。

毎日聞く娘の話に胸がふさがれ、もういっそ、外国へ留学してくれないかとまで思い詰めてしまった。

完全な私の暴走。けれど、ついネットに出ていたニュージーランドの学校を経営する方とのスカイプ相談

という記事に、メールを送ってしまうありさま。

知人の子供はニュージーランドに留学しているし、私は英語は一応何とかなる。

もうもう窮屈な日本から離れて、母娘でニュージーランドに行きたい!!と妄想が膨らんだ。


ただし娘は日本が大好きで、当然私の提案に不安げな顔しかみせない。


ごめんなさい、ママはちょっと心が疲れてるから。人間て環境の合う合わないはあると思うんだ。

そうだね、ここで頑張りたかったんだよね。

ここではない何処かへ?

4月から将来に向けて様々な方向性を探ってきた。

自分が今独り身なら、確実に挑戦したい仕事も目の前に現れた。

それに手を伸ばす?どうする?

親身になってくれる方々。

未知の世界への興奮と、ビジネススーツを身に纏った自分の姿が自然に浮かんでくる。

そのイメージの中の私は、その世界に調和しておりずっとそんな風に生きてきたかのようだった。

白昼夢ではないけれど、既視感のある感じ。

そちらへすぐに、行きたいと思った。

でもそうしなかった。


もっと知り合いたかった人々、実現されない旅行、封印した想い。


心は混乱して、ぐるぐると洗濯機の中の洗濯物のように、見えない引力に飛ばされ、

巻き込まれ、もみくちゃになり、いつしか静止する。

静止して、出た結論は私は母親であるということ。

あと娘を育てるのは約6年。娘を今は最優先するということ。


娘を自分が踏み出せない言い訳に使っていないかも厳しく自分でチェックした。

それは彼女にも自分自身にも失礼。

幸いそういうことはほとんどなかったが、子供の状況が不安定だと、レーザービームのように

1点集中しにくいのが自分だということがわかった。私は不器用。


私にとって家族を持つということは、もう自分だけの満足感では幸せを感じられないということ。

仮に今目の前に魔法使いが現れて、私が私のなりたかった私にすぐになれて豊かさが舞い込んでも、

その陰で娘がアンハッピーに暮らしていたら、そんなものは何の意味もない。

娘が転校しないと決めたのは吉かどうかわからないし、私自身は転校に心が動いていたけれど、

私は娘を尊重し信じることを選択した。だからたとえ苦しくてもそれを続ける。

自分の進みたい方向へ進むことはあきらめない。

ほんの少し実現は遅れるかもしれないけれど、チャンスの神様は、きっと辛抱強く訪ねてきてくださる。

その時に微笑んで迎えられるように、助けを求めることにする。


娘のことを相談するために、担任の先生へ電話をかけた。

「一緒に中学校になる前まで○○ちゃんをサポートしましょう。」

先生は娘の孤立に4月から気が付いていらっしゃった。

私の話をじっくりと聞いてくださり、先生の考えもはっきりと述べてくださった。


先生と私の考えは、ほぼ一緒だった。


「○○ちゃんは、もっと友達にぶつかっていってほしいと僕は思うんです、たとえ喧嘩になってもいいから。」

「私もそう思います。経験値が上がることの方が大切ですよね。」

「読書をしておとなしくしていれば無難には過ぎるでしょう。でもそれじゃ成長がないし、たとえ転校しても

状況が変わらん可能性があります。」

本当のことを綺麗ごとだけではなく、冷静に温かく語れるこの担任の先生の人柄に好感を持った。

先生が中学生になる前に何とか娘が変われるように・・と考えていてくださったことは電話をして

初めてわかった。

独りでいてもいいし、独りでもいられる強さは評価する、けれど友達の素晴らしさは体感してほしい。


おおざっぱに表すとこんな感じのことを先生と話す。


どこかにいってしまいたいとまで夢想したけれど、先生という心強い協力者を得た。

原点に戻り、3月までは娘をサポートしてこの地にとどまることを改めて誓う。

娘とも先生の話されたことを二人で確認しあい、握手して決意を新たにした。

「先生に電話してくれてありがとう」とメモを届けてくれたので、良かった・・・と安堵した。

「傷心」を選んだのだから心のまま生きていく

昨年は5月末の決定的な出来事で結婚生活にピリオドを打つことを決めてから、本格的に稼働したのは秋。

それでも12月に離婚が成立した。

時間差できた離婚に関する感情や、子供のころからの思考パターンの癖、いろんな人との関わりの中での混乱や

身体的な不調、娘のことに何だか自分が保てなくなった4月、5月。

砂時計の砂のようにさらさらと過ぎる時間を惜しみ、焦り、涙した。

自分のことが好きで、そよ風やバラの香りを楽しみ、音楽に合わせて踊る私が、もしかして浮上できない?

とまで思い詰めたけれど、やはり大丈夫みたい。


このブログも3月でおしまいにして、4月から新しい世界へ旅立つつもりだった。


でも、あがく自分を記録してみようと考えを変えた。

やはり私は書くことが好きだ。


客観的に見て、状況は悪化してはいない。

元夫、母との関係は良好。頼りになる友人知人もいる。

娘はたとえ孤立していても素晴らしい可能性を秘めた良い人間に成長している。


今も結婚生活を継続していたらこんなに様々な気持ちは味わわずにはすんだが、それは嫌。


ゴダールの映画「勝手にしやがれ」に「傷心と空虚、どっちを選ぶ?」というセリフがある。

私は昨年から「傷心」を選択して生きている。

感情を抑圧すると、喜怒哀楽が薄くなる。

歓びと楽しみを享受するならば、怒りや哀しみはセットでやってくる。

両方をちゃんと味わって人生を堪能しよう。

身もだえするようなマイナス感情は感じたくないと怖れていたのは以前の私。

4月からは闇にも向き合える、感じることをできる、感情に蓋をしない自分になった。

闇と光、陰と陽、なにごともバランス。

最中の今はわからないけれど、後で振り返るとこの痛みは懐かしいものに変わるのかもしれない。

じたばたと足掻く、ある意味面白い自分自身を後から振り返ることができるように、この日記を続けよう。



トンネルは長かった☆