幸せな人生だと思うわ、と母が言う
人生の折り返し地点での実母からのコメント
「何やかんやあっても、○○君のおかげでそういう技能を身につけたり、
いろんなことができたのだから、貴方は幸せな人生を送ってきたでしょ。」
母の言葉に素直に頷いた私。
薄いオーガンジーのカーテン越しに透明な光を浴びながら、コーヒーをいただく午後。
気持ちの良い外の天気に外出できないのがもったいなくも感じるけれど、
何もしない贅沢な時間を、室内で消費するのもそれはそれでいい、と思い直す。
自分ではない人間(この場合は母)がキッチンに立っている姿を見ることは、
普段は独りで何事もこなしている私の心をほぐしてくれる。
母からの発言は、明るく何の含みもなく、日盛りの午後に相応しい。
「私も、そう、思う。」
母の視線を捉えて、真っ直ぐに微笑んでみせる。
「どうしても立ち行かなくなったら勤め人になるわ。そして書き続ける。」
「仕事は何でもあるわよ。」
母の言葉が心強い。
最近街でシニア層の売り子さんを良く見かけることを話すと、
実際に若者が就かない仕事に高齢者が進出している例を母は語ってくれた。
未亡人の母によく手土産を渡してこられる、知人の80歳を超えた不動産会社経営者の方が、
「これであと5年は働ける、大丈夫。」と資格の更新をされ、大きい案件を狙っていることも教えてくれた。
72歳で市役所の外郭団体で請われてパートタイムの仕事についている、母の言葉の説得力は強い。
そして70歳を超える母に、野菜やお菓子などの貢物を持ってくる男性達の話も思いがけなく聞けて、
幾つになっても男女としての人生は続いていくのだなと感心した。
人生はそれでも続いていく
今は、ひとりがいい。
誰かに依存するのではなく、自分を恃みに生きていく時期だ。
だけど、いつかはまた、私専用の男性と関わりあいながら生きることを選ぶ。
だから寂しさを感じきるために、今はひとりでいる。
寂しさは、生きる喜びと、心の中で一緒に仲良くできるから大丈夫。
そして心は充分に広いので、他の感情もにぎやかに同居が可能。
愛しさ、切なさ、絶望、希望、野心、平安、たくさんの感情が生き生きと主張する、
この色とりどりな心模様が好き。
倦怠と不幸はもう立ち去ったから、賑やかな感情たちは不協和音を奏でない。
次の書評は「片岡義男」さんの本について。
独特の文体と、その世界観には私自身かなり影響を受けていると思う。
乾いた感覚が心地よくて好きだ。
海外の小説を読んでいて感じる、人としての立ち方在り方に共通する、
日本語なのに翻訳されたような独特の文章の世界は、
フィクションではないのだなと最近感じている。
日系二世の父と、日本人の母を持つ片岡義男さんは、母と同世代。
感性が合うということは、世代じゃない。