母との和解
母が私の理解者になってくれた
昨日締め切りの原稿を仕上げ、束の間平和な気分。
手直しや訂正は、編集者の方から連絡が来てから考えればいい。
結局週末の逃避行は、自分や娘の体調のことがあり断念した。
そのかわりに塾や学校に娘が行っている間に、誰にも話せなかった
娘の進路や状況についてのことなどを母に打ち明ける時間を持てた。
母は変わった。
私が「こうした態度はおかしい」と指摘しても、逆切れせずに受け入れられる人になっていた。
叔父や叔母との癒着にも自分で気が付く出来事があり、今度からは兄弟にこだわらず
友人と出かけることを実践する気にもなったようだ。
最大の変化は、脈々と続いてきた親族間での望ましい生き方のレールを外れた私を、
応援してくれていることだ。
母と娘の関係は複雑だ。
時代背景や様々な要因で起きる「自分の人生に対する不足感や不満」を挽回することを、
時に母親は無意識に娘に期待して望む。
同性だからこその錯覚で、息子には重ねない自己像を娘には重ねてくるのが母親なのだ。
「あなたのためを思って」のセリフには中途半端に愛情とエゴが混じりあっているので、
娘は思考停止になることがある。
長年のもつれた母と娘の関係から脱出して、新しく関係を築けていると確認できたのが
週末から昨日にかけてのことだった。
また心が軽やかになっている。
静かな、平安な気持ちが満ちてくる。
今日も良い一日を☆