人生は、二毛作
違う人生を2回生きてもいい
二毛作 (にもうさく)とは、同じ耕地で一年の間に2種類の異なる作物を栽培することである。
同じ作物を作る場合は二期作(にきさく)と言い、年に1回だけ作物を作ることは一毛作(いちもうさく)や単作(たんさく)と言う。引用 Wikipedia
人生は二毛作だと最近思っている。
私の場合、二毛作のスタートは「結婚生活の解消」という形で始まった。
20代で結婚し30代で娘を授かり、元夫と自分の「家」制度にのっとった
レールに従う生き方が一毛で、「家」制度から解放され、
レールの外で自分が選択を繰り返し歩む生き方が二毛にあたる。
私は自分の二毛作の人生を気に入っている。
娘がまだ未成年であることは彼女に申し訳ないとは思うが、それでも二毛作に乗り出して良かったと思う。
人は変わる。
2人の人間が婚姻生活を続けるなかで、
自分に求めるものも、相手に求めるものも変わっていく。
もしくは自分が目指すものも、相手が目指すものも変わっていく。
それから、自分は目指していても、相手は変化を拒んだり、そもそも目指すものがないときだってある。
その過程でどうしても相容れないと感じたら、自分の感覚を護るのは、生き物として正常だ。
自分の場合は人間関係が主題だったから、結婚離婚というわかりやすい現象が鍵となっているけれど、
同じ配偶者と添い遂げても、人生の二毛作は各自のテーマでやってくると思う。
人は変わる。
半世紀前は、自分の変化を見届ける前に寿命が来ていた。変化せずに済んだともいえる。
ここ二十年は、世の中の変化が激しくなる端境期で、自分の変化に気づいても、だましだまし、
寿命がつきるまで変化をないものとして生きることができた。
これからは、いろんな意味で変化を見たくない人が、変化に直面することが増えてくるだろう。
逆に変化を歓迎する変化を恐れない人は、心のままに生きやすくなるだろう。
読書、勉強会、創業スクール、さまざまな刺激が触媒となり「考えること」が言葉になる。
空に架かる虹が消えぬ間にスマホで撮影するように、このブログに想いを書きとめる。
「考えること」が好きだ。
音楽に合わせて踊ったり、少し大股に速足で歩いたり、活発に言葉をかわす行動とは別に、
聴こえないけれど流れている音楽に耳を澄ますように、思考の流れを観察する自分がいつもいる。
今日も薄曇りの空ながら晴れ。
良い一日を☆