palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

二十五年ぶりの再会Ⅱ

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もう 二十五年が過ぎていた

「今度は皆で集まろう」先輩がかけてくださった言葉。

働き盛りの男性に集合してもらうのは、恐縮だけれども、有難くて嬉しい。

「○○くんも誘いましょうか」「では△に七時集合」

Facebookのメッセージ欄でテニスのラリーのように、よどみなく軽快に交わされる言葉。

面倒見の良い段取り上手な先輩のお蔭で、四半世紀ぶりの再会が決まった。

学生時代のアルバイト先は男子学生ばかりだったので、今回再会するメンバーは私を除き全員男性。

昨年まではPTA、地域の役員などで女性に埋もれていた私の環境が変化したことを実感する顔ぶれ。

ようやく慣れてきた夜間の外出にそれでも少し緊張しながら、バスを降り、目的の店の位置を

頭の中で反芻しながら歩き始める。

再会する場所は、先輩が学生時代にアルバイトをされていた80年代から続くバー。

普段使うバスルートの途中にある、スクランブル交差点すぐ側にあるお店だから迷うはずはないと

タカをくくっていたら、当日バスを降りてざっと見渡してもお店が見つからない。

待ち合わせ時間の10分前だというのに挙動不審になりそうな自分を、自分でなだめる。

今日使ったルートとは反対の、駅から我が家へ向かうバスの車窓越しに待ち合わせのお店は見えたのだと閃き、

反対方向から歩けば見えてくるはずとあたりをつけ歩き始めたとき、気がつくと前方の人ごみの中から

濃紺のシャツに白いパンツの先輩が、モーゼの十戒の場面のように、両側の人の波を押し分け突然現れた。

小さな僥倖。二十五年ぶりに皆さんと会ってわからなかったらどうしようという心細さも、

大の大人が道に迷う情けなさからもこれで解放された。

先輩の横に並び、ゆったりとした気持ちでお店へ向かう。

先輩という心強い同伴者と一緒に入った店内は、まだ明るさの残る外とは違い、コニャックのような

琥珀色に満たされた夜の始まりを感じさせる空間だった。

私達が今日の一番乗りのお客らしい。

一番乗りの特権を生かして、ざっと店内を見て昔の名残を探す。

二十年以上前、この店を訪れた記憶を引き出そうと脳内をくまなく点検する。

たぶん、当時のままだ。変わったのは私達?

変わったこと、変わらないこと

しばらくして店内に入ってきたのは、先輩、私と共にバイトをしていた男性だった。

ジーンズやコットンパンツ姿の彼で記憶が止まっていたので、スーツ姿に歳月を感じる。

固めで特殊な職業に一貫して就いている彼に、不思議と会社員的な雰囲気はない。

昔と変わらず細身で飄々とした佇まいに「拘束」感は同居できないのだろう。

少々戸惑いながら再会し言葉を交わしていると、最後の一人、先輩の友人が現れた。

アロハシャツでの登場から、その職場の自由度がわかるというものだ。

長い年月が過ぎての再会は、皆を知っている先輩の円滑なお喋りのお蔭で、和やかに始まった。


どんな風に変化しているのだろうか。この純粋な疑問と興味が互いの胸にあったと思う。


結論から言うと、何というか個人の核となるものって案外歳月を経ても変わらない。

多少の外見の変化は見られても、思考や感情に大きな断絶は感じることなく会話ができた。

それは皆、二十歳前後に付き合った仲間だからもあるだろうし、同じ時間を共有したからもあるだろう。

でも、それだけではなくて。

メンバー全員が皆「かんがえる」ことを続けて生きていて、行動して現実を切り開いて日々進化しているから、

変わらないと互いに感じることができたのだと思う。

新聞の社説や週刊誌、ネットにテレビ。情報は溢れ、その海に浸って自分の意見や考え(と思うもの)が

そこに依存したものになったいることに無自覚な大人は、男女問わず意外と多い。

そう、そのバーにいた私の旧い友人・知人の男性たちは全員、自分の頭で考え、発信している側の人間だった。

相談し励まされる

彼らが親身に投げかけてくれる助言は私の胸にすうっと深く浸み込んだ。

お酒の酔いもあり、頼もしい彼らに娘の友人関係の悩みやら、目標設定の是非やら、顔出しするのが苦手やら、

たくさんの悩みや気がかりなことに対しての意見を求めた私。

意見は誰に聞くか、相手を間違えないことが最も重要。

好もしい男性たちが集まってくれているのだから、聞かなきゃもったいない、そんな気持ちだった。


一年前まで私は、女性の意見ばかりを耳にする世界に棲んでいた。

女性特有の「そうそう、わかるわかる、私もね・・。」という親愛と仲間意識に溢れた中で交わされる意見は、

意見交換というより、賛成案の採決であり反対意見は出ないのが暗黙の決まりでもあったから、真の意味での

問いかけはそこではあまりできなかった。

そしてそれは、ある種のサークルに所属している時には有効なルールであり、尊重すべき意見だが、

そこから外れると効力をなくしたり無意味になる類のものだったりもした。

私は郊外の図書ボランティアやPTAにいそしみ地域の活動に参加し、家庭第一に生きる母、妻ではもうない。

新しい私として、娘と私で生きていくこと、彼女が巣立つまでに成すべきことや、生きるための

選択肢を増やすことなど考えることも一年前とは違う。

安定ではなく挑戦、保守よりも革新。こう書くと選挙のスローガンみたいになるけれど、

楽しみながら人生を充分に生きたい。

眠くなる午後の午睡のような穏やかさの代わりに、自分が舵をとる重みとその引き換えの自由を得た。

自由と責任を手にした私にとってのお手本は、家庭だけではなく、社会の中でも生きている男女。

社会人として成長を続けてきた自分で「かんがえる」同世代の大人の男性たちからの意見は

今まで聞くことができなかった貴重なものだった。

今回集まってくれた人の言葉を借りずに生きている男性たち。

私もそうありたいと願うけれど、自分が主人公であり大黒柱である人生の初心者運転中なので、

自分がそれをできているかはわからない。けれど、私も自分の言葉を紡いで生きていく。

過去から現在

「真っ赤な口してましたよね、あとぱっつんぱっつんの服着てて。」

「そうそう、真っ赤だったよね。」

「あのころはそういうのが流行ってたんですよ。」

「今メイクが地味になりましたよね。」

当時情報誌の編集補佐をしていた私達。その頃はただただエネルギーに溢れていたと思う。

皆、感心するくらい細かい出来事や、当時の互いの様子を覚えている。

懐かしい話題が続く。

そして新しい話題の中で気がついて嬉しかったことは、それは三人とも奥様や家族を大切にしていることが

会話から伝わってきたことだ。

妻の意見を聞ける男性たち。妻の活躍を妨害せず応援できる男性たち。

学生時代に私が一時期を一緒に過ごした男性たちが、こんな風な大人の男性になっていたのがとても嬉しい。


男性たちの会話から耳に残った言葉を断片的に書いてみる。

「明日のことしか考えていない。」

「発信していない人は、発信するものがないから発信していないんですよ。」

「プロフィール写真は素人が撮ったものではなく、写真館で撮ったものを使うべし!」

「芝生の専門家でもいいじゃないか、発信すれば。とにかくやってみること。」

バイトをしていた広告代理店に原稿も送ったし、起業を目指す人向けのセミナー参加も決めた。

Facebookは・・とりあえず手持ちの写真で間に合わせていますが、ちゃんとした写真を撮りにいきます。


竹は何年も地下で成長(潜伏?)して、伸びるときは一気に伸びると聞いた。

10年あまり、自分は脇役で家族を優先してきた。その歳月を無駄とは思わないけれど、

自分の人生の主役は自分であるということを忘れて生きていた歳月を生かせるかは、

これからの自分次第だ。

制限を外したのだから、伸びていきたい。


久しぶりの再会で帰宅が遅くなり、タクシーを降りてから早足でマンションに向かう。

娘はベッドに入っていて、ぼうっとした元夫は、まだ10時台だというのに自分も眠そうな声で

留守中の娘の様子を話し、玄関の扉を静かに閉めて帰って行った。


「○○君てさぁー、おらおら系だよね。」前に友達に、元夫をこう評されたことがある。

確かに彼とは会社の同期で同じ仕事をする仲間としての会話は尽きなかったけれど、

話し合いは成り立ちにくかった。

何せ、一族の長には従い、本家や長男は別格、嫁は使用人という家系出身のオトコだったから。

でもその話の通じない元夫は、私の夜の外出の理由も聞かず黙って娘の託児に我が家へ来てくれた。

元夫は今でも、今だからこそ私と娘の人生を応援し支えてくれている、彼なりの表現で。


カクテルを2杯しか飲んでいないというのに、頭がもうろうとする。

しんとした静けさと一人きりの時間を酔い覚ましに流しながら、先輩たちのリアルタイムの

Facebook投稿を眺めて彼らの元気さに感嘆する。

今日また、新しい一歩を進められた。

いろんなことに、皆に、どうもありがとう。