palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

セルフ我慢大会を卒業した私

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やっと果たせた再会

昨日学生時代のバイト先の先輩と20数年ぶりに再会した。

私がこの地に住むようになってから7年。

年賀状の遣り取りはしていたけれど、会うことは自主規制していた。

それは、自分が薄曇りの毎日を送っていたから。

「元気にしている(幸せにしている?)」

という問いかけに嘘はつきたくない。

かといってもつれた夫との関係を先輩に相談するのも気が引ける。

先輩は人情に篤いので、いくらでも相談にのってくださっただろうけれど、

奥様のいる方に湿った相談を持ちかけるのは、何だか性に合わない、というか好きではない。

だから夫との離婚が成立し、軽やかな心で再会ができるまで、こんなに時間がかかってしまった。

元夫に娘を託し、夜の外出

イタリアンのお店に向かい、夜風を身体に感じながら川べりの道を歩く。

夜の外出は昨年9月のヴォイストレーニングから再開した。

夕方6時に一人で街に佇んでいることに、ものすごく感激したのを覚えている。

薄暗がりにより鮮やかさを増して見えるスターバックスのロゴの緑色。

暗闇に変化する前の桃色と藍色の絵筆を水に垂らしたような空の色彩と一番星。

子どもを家に置いて(大人の付添はあり)自分の勉強のために夜間外出することを自分に許可する。

こんなことから、私は自分を取り戻していったと思う。


そして今日はここまで到達した。

美味しい食事と、若々しい外見の先輩と時間のブランクを感じずに交わす会話。

いろんな気づきが、ありました。

どうもありがとうございます。

他の懐かしい面々との再会も約束し、またひとつ、心が軽やかになれた。

自己規制の日々はおしまい

過去5年間、好ましい母親像や田舎の旧い家のしきたりに自分を添わせるように

私は私自身が我慢を選択し続けていた。

「我慢すること」「家(制度)のためには個人の幸せは犠牲にすること」は、

我が家及び親族では最も重要視されていたので、我慢を選択するのは得意。

本来の私ではない鋳型に嵌められるような状況も、それを突っぱねず受け入れる方向にエネルギーを

使っていたので、薄曇りの日々が続いていたのだ。


今回娘に友達の大切さを説いて、自分が何ができるかをずっと考えていた。

今まで通り、娘を見守り、話を聞いてほしいと娘が言ったら話を聴く。

そのままの貴方で素晴らしい、いいんだよという声掛けは引き続き続行。

ハグなどの触れ合いはもちろん毎日、気持ち大目に。


それ以外には、私が自分が好きだと思う方々との交流を楽しんでいくことをためらわない。

家族とばかりいるのが好きで、友人知人からの誘いには反応が薄い元夫と、これまた人付き合いが

まだ不得意な娘と、「人生とは勤勉に進むいばらの道」←笑という実母の教えに、子供を出産後は

友人と会うことや海外に出ることをかなり自主規制していた。


とても失礼だけれど、元夫の真意もわからないのに私ばかりが人と交流するのは申し訳ない・・・と

思ってもいた。

友達のことを熱く語る割に、自分が友達との時間を持つことを遠慮していた私。

それは私も元夫・娘の世界に入っている = 友達、人との交流を軽視していたことに気がついた。


だから私は人との交流を遠慮なく楽しみます。

この姿を娘に見せることで何か感じてもらえたら嬉しい。


ヒトとの間で傷ついても、他のヒトとのエネルギーの遣り取りで回復することはできる。

おかげさまでいろんな方々に助けられて私は子どもの頃の自分、人生で一番自由だった学生時代の

自分を取り戻せた。

だからこれからは、もっと喜んでヒトとヒトの間のエネルギーの循環に参加していく。

セルフ我慢大会を卒業して、自己犠牲的な生き方も卒業して、我に返ると様々な内面の葛藤もトラウマも

「何をやっていたんだろう。奮闘していたね。」

とお馬鹿な自分の一生懸命さがいとおしい。

過去のことは「過去」という単語が頭をよぎらないほど遥かに遠くなった。

その時感じた感情を誰かに肯定してもらう必要もないし、再度怒りがこみあげることもない。

もうそのドラマは堪能したので、違う脚本の人生を歩んでいる私には夢の中の出来事のようにも思える。


いろんなモノを捨て、裸足で朝露に濡れた草の上に立っているのが今の自分のイメージ。

何故か今の自分、将来の自分という言葉から連想するのが白いワンピースを着てそよ風の中草原にいる風景。

目の前の小道は舗装されておらず緩やかに前方に続いている。

独りでいる私は全く淋しくなく、日差しをあびてその瞬間をただ楽しんでいる。


今を生きている。