palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

シングルマザー=弱者という無言のメッセージ

「あなたは甘いのよ」

娘の学校の問題、仕事の締め切り、元夫とのあれこれ、書類の手続きで過ぎた3月。

4月になり、ひとまず仕事にはつかず娘の学校生活を見守り、身体のメンテナンスをしていた私。

久しぶりに会った年上の友人からの言葉に、不覚にも打ちのめされてしまった。


私は現在、元夫に現在住むマンションのローンを負担してもらっている。

娘のためにそうしたいと申し出てくれた元夫の好意を有難く受け取っている。



娘の学校関連のことも、結婚していた頃より純粋に保護者として双方協力しあえる体制ができている。

離婚をして、元夫のことをまた信頼し尊敬できるようになったことが、私の心に平安をもたらした。

こんな結末をむかえる離婚もある。

けれどそれは、必ずしも他人の共感を得られるとは限らないことに私は気が付いていなかった。


久しぶりに会った年上の友人は、私が今まで通り同じマンションに住み、仕事を3月以降していないこと、

私の将来の希望についてなどをずんずんと聞き出すと、どんどん口調が熱くなっていった。

友人のシングルマザーは昼夜も働いていること。

あなたは苦労知らずで恵まれていること。

元夫と娘の親として良好な関係を築いているのがどれだけ恵まれているかわかっている?

何も続かない貴方ではこれからどうするのか?(この方は昨年知り合った友人で、私達夫婦の結婚生活や私が
過去どのように生きてきたかはほとんどご存じない。)


目上の方は敬い、たとえ意見が異なっても「そうですね」とひとまず受け止めるようしつけられてきた。

そのため悪しき習慣が発動し、二人で会話している際に友人の過剰な心への侵入や、

状況を知らないのに決めつけてくる独断へも毅然とした対応がとれなかった。


私は自分を護れなかったということ。

友人の助言という名目の相手の焦りや怒り、怖れのエネルギーを防御しきれなかった。

離婚手続きや娘の学校での問題、元夫との関わりにかまけて自分の心に積もっていた悲しみを

やっと涙と共に流すことができた矢先だったせいもあり、自分を護るかまえが甘かった。


最近私の世界に登場するのは心優しい人がほとんどで、その友人を良い方と認識していたので

まさかとセンサーが働かなかったのもある。

友人の言葉は胸に深くささり、私はそこから生まれた衝撃を血肉に変換しようとして感情を眺めている。


傷つく選択をしたのは私自身。彼女の言葉をスルーすることも、不快感をあらわにすることも選択できた。

でも、年上の友人の言葉の中に時折混じる含蓄のある言葉に引きとめられて最後までお茶してしまった。


彼女は善意の人だ。

言い過ぎたと感じられたのか、お詫びの文言のメールも後日送られてきた。

基本的には私を応援してくれており私サイドにたってくださっている、とはわかっている。


けれど、シングルマザーなら不誠実な元夫に養育費ももらわず市営住宅に住み、

夜中にコンビニ弁当を作る工場で働き、自分の幸せなど捨てて、社会の底辺で清く正しく美しく

生きなさいよといわんばかりの彼女の信念は、受け取りません。

主婦ならば許されてシングルマザーなら許されない?

私は4月働かずに家に籠っていたけれど、働く気がない訳でも将来を考えていない訳でもない。

ずっと働くには心身の健康あってだと思うので、昼夜働きづめが最高とも思えない。

その間子どもはどうするのか?

時間を提供する方法以外にお金を生み出す方法を考えるのも大切だと思うから。

自分のスキルを上げて時間給を高くすれば、昼働くだけですむかもしれない、そちらの方向へ進むのはどう?

不労所得を真剣に得られるよう動いてみてはどう?

心身のメンテナンスのために休息をとることが人間失格のようにいわれるなら、男性の会社員が鬱などで休職するのは?

子どものいない専業主婦は非生産的な悪者?障害のある人間は?退職者は?

さまざまな疑問が湧いたのは帰宅後。

「あなたはシングルマザーなんだから!!」

の言葉で全てを片づけられてしまい、途中からもう反論する気がしなくなった。


そういう彼女は定職はなく(主婦)、親と夫の庇護の元習い事などにいそしむ毎日を送られている。

旦那様とは相手が離婚を切り出せば応じるけれども、彼女からは言い出すつもりはないという関係。

彼女の周辺には必要で繋がっているご夫婦が多く、それはフツーのようだ。


私は勿体ないなぁと感じる。

娘がいるのですぐには無理だけれども、私がまた結婚したらその人を大切にしたい。

20代、30代の頃、元夫の帰宅を子犬のように歓迎していた。

今後の私の人生に登場する男性にもそうする、というか嬉しいからそうなる。


年上の友人、彼女をいらつかせたボタンは私の何だったかは少しづつわかってきた気もする。

今後、人と接するうえでいろんな想いを私に吐き出す方達がまたでてくるだろう。


結婚生活や子どもの教育問題など語るときには注意が必要。

同じ言語を話しているつもりが、互いに全く違う意味を言葉にもたせていたりするから。


「大変でしょう。」

と言う相手の言葉を見極めて、相手の望むシングルマザーを演じる、そこまでしてさしあげる必要は、ない。


何故ある一部の人はシングルマザーを不幸せな人認定したいのだろう。

そして結婚生活から卒業して幸せだという相手を、自分の価値観で「いいや、違う。」と

躍起になって否定しようとするのだろうか?不思議だ。


結婚する、しない、離婚する、しないは自由。

どの選択も幸せにつながれば全て最善だから、自分の選択した人生に責任を持っている人は

他者を見て感情を波立たせたり、むきになって相手を否定する必要はないと感じる。


これから社会に出て仕事をするにあたり、公の場に出れば出るほど、いわれのない中傷や

推測からの心ない言葉を受けることもあるだろう。


私はそれを引き受ける覚悟をしました。

それは、弱者になる気なんてありませんということ。

今回のアクシデントから生じた心の葛藤は無駄にならなかったみたい。

自分の生きる覚悟が強く定まったし、他者に巻き込まれない在り方を仕事を始める前に

予行練習できた。

良い言葉、勉強になる教えは受けるけれど、相手が恐れから発した言葉は受け取らない。


私がこれから生きていく世界は、弱者、強者ではなく「個人」の力量が問われる世界。

シングル、既婚、男性、女性、20代、アラフォー、後期高齢者、なんでもいい。


私はどんな人であれ、その人がどんな状態であれ、その時点の姿だけを見ずに

本質を信頼して、裁かずに人とは向き合いたい。

他者の語る「・・・」や言葉の行間を読める大人が好きで、そういう大人でありたい。