何が最善かわからないとき
本当は結論なんて、でない
今日は先週「学校へ行きたくない。」と2日間学校を休んでいた娘が、学校に登校する日。
彼女は自分で決めたことは守る方だから、きっと登校する、そのことはわかっている。
12月、皆勤賞だった娘が1日だけ休んだのが、図工のある月曜日。
図工は週に1回しかないから、2時間やすむと皆のスピードについていけない・・と
今回学校を休む前から何度も話していた。
そして、今日は月曜日。今日も休んでもよかったのだが、図工が4時間遅れると、
作品がひとりだけできないという、そのプレッシャーが耐えられないと話すので、
今日は登校することになった。
変な話だが、私は、娘が休んで家にいてくれた方がほっとする。
いじめにはあってはいないけれど、疎外感を感じる空間で小さな身体で娘が時間を過ごしていると
想像すると辛くなる。
だけれど、今日登校することを、娘は選択し、私も選択したのだから、
気持ちの葛藤は仕方がないこと。一番しんどいのは彼女だ。
転校、担任の先生ではなく、昨年度のPTA活動でお互いに気心の知れている校長先生に相談する、
まだ手を打ちたい自分がいる。そうすれば、ただ見守るよりは気が紛れるからだ。
けれど、もう少し待とう。
娘の話をもっと聴き、宿題をもう少し丁寧にみてあげて、好物を食卓に並べ、もっとハグをして、
夜はお話会をして、寝付くまで添い寝をし、・・・こういうことを先に心をこめてしてみよう。
離婚が成立し、楔は外れても、だからといって、自分にとって「快」なことだけが起きるわけじゃない。
でも幸いに、ヒリヒリする、この感情を受け止める心のスペースは空いている。
神様、覚悟はできています。
でも・・・辛いな。
もうすぐ娘が起床する、スイッチを切り替えて笑顔で♪♪
いつも頑張っているね。大好きだよ、いってらっしゃい。この言葉をお守り代わりに娘に渡そう。