palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

郵便受けのなかの配達物の束のように、積み重なる日常をきちんと仕分けする

久しぶりの一人だけの時間 書くことに専念する

昨晩から、娘はパパのお家(祖母宅)に
お泊りにいっています。
宿題を済ませ、祖母宅で飼う子犬と二カ月ぶりに
再会するのを待ちきれず玄関で待機していた娘。
元夫が迎えにくると、マンションのドアを
ためらいなくバタンと閉め、私の登山用リュックを
軽々と背負い去っていった。

今日は、夕方までは自由時間。
やっと原稿が書けます。

もう一人でコントをしているようだと、つっこみ
たくなるが、今月もいつのまにか一番神経を使う
原稿の締め切りがやってきました。
猶予はあまりない。

明日は仕事の後に、友人の春から立ち上げる新規講座の
聞き役として打ち合わせが入っている。
土曜日は娘の科学教室の発表と修了式。
日曜日は塾に火曜日は近づいてきた卒業式の
謝恩会について夜の会合がある。

締め切りは月曜日。
理想は明日の原稿提出です。

いつでも郵便受けが一杯になるように物事は重なる

2月最初の週から今週にかけては、仕事に慣れることと、
娘の合格した学校と校区内の受験をしなければ通う予定だった
中学校に入学関連提出書類を持参することなどで時間が取られ、
ほとんど自分の仕事のための時間は持てませんでした。
そして、皆そうだと思うけれど、想定外の物事は連続して起きる。

・受験の疲れがでた娘は学校を休んだ。

・私も体調がすぐれず、娘の塾などの送迎をこなすだけで
 精一杯となってしまった。

・娘の部屋のこたつが温まらなくなり、ホームフレンドの
 大学生のお姉さんには急遽リビングで娘の相手をしてもらう
 ことになり、私は仕事をする場所がなくなった。そこで寝室で
 仕事をしようと思ったら、エアコンがつかない。単4電池がきれて
 リモコンが使えなくなっていた。寒さのなかでの作業は、はかどらない。

・娘が「学校が嫌だ。休みたい」と先週休んだせいもあるのか、のたまう。
 あと1か月を乗りきろう!と諭して学校に登校するよう促し本人は渋々登校。
 その後私の心が塞ぐ。←おかげさまで本人は愚痴を吐き出しケロリと
 しています。つくづく人騒がせ。母は心のエネルギーが、ぐぐっと消耗。

・週末の科学教室発表会原稿を取りに、校区外の小学校へ出向く。


大切なことを、じゃけんにしていた訳ではないが、
物事を自分の計画通りに進行できないときってあります。

小さなことから大きなことまで、物事は毎日に
サンドイッチの具のように挟まっている。
そのどれもは、こぼしてはならない大切なもの。

サンドイッチといえば、ごくたまにモスバーガー
ハンバーガーを食べることがあるのだけれど、
いくら気をつけても具材やソースがはみ出して、
包み紙の底にたまってしまいます。
おもらしをした幼児の丸いおしりのような、その微妙な
重量感に、私はいつまでたっても慣れない。
見えないなにかに、申し訳ない気持ちになる。
食べ方が不器用なのだろうか。
そして、この地方にはまだ進出していない、
本格的なグルメハンバーガー(この呼び名は怪しい)の、
しっかりと具が重なりあい堂々とした厚みを誇る
そんなハンバーガーを目にしたときも、さてどう食するかと、
緊張するんじゃないかなと想像する。

話が飛んでしまいましたが、サンドイッチやハンバーガーの
具をこぼさず食べるよう試みるように、日常の物事を
取りこぼさずに、心をその瞬間に集中させたいです。

身辺を整えたら、また世界とつながっていく

明日打ち合わせをする友人が先日会話をしたときに、
「もう自分は、これまで自分が受け取ったものや得た知識などを
与えていく立場と年齢になったと思う。」
とつぶやいていました。
私も同じことを考えています。

自分には彼のような専門スキルと、その道での
突出したキャリアはない。

でも聞き役と必要なタイミングで質問を投げかけること、
相手の鏡のような役割をすることはできる。

独立して痛感するのは、自分以外の信頼できる人達からの
フィードバックを定期的にもらう必要性。
自由ということと、羅針盤もなしに、やみくもに進むこととは
違う。複眼でものごとを俯瞰して見るには、自分以外の人間の
力を借りることが不可欠です。

だから今年からは同性異性問わず、声がかかったら都合がつくかぎり、
「話の聞き役兼質問係」を、させてもらっています。
私のインタビューの仕事のためにもなるし、相手のためにもなる。
何より応援している友人たちが、自力で言葉を心の中から引きだして、
話すうちに自信を増してくる姿を見られるのが、楽しく嬉しい。

日常はダイレクトメールの束ではない。
切れた電球やトイレットペーパー、乗り遅れた電車や
こんなときに限っての子どもの発熱など、煩雑さや困惑は
ついてまわるけれど、大切な人からの手紙や合格通知も
郵便受けには混じって届いています。

しばらく文章が書けませんでした。
物理的にだけではなく、心理的にも書く気持ちになれなかった。
優れた書き手にひるみ、相手の素晴らしさ(複数)と自分の現在地を
冷静に測定して考えていました。
ただし、そのことで自分を丸ごと否定などはしない。
もし書けなくなったら、まっとうな勤め人になり、
報酬は得られなくても細々と書こうと思っていました。
人生は人の数だけあると、わかっている。
だから、どうなっても、正確には何を自分が選択しても、
私は大丈夫、そう感じてもいました。

今ここにブログを書いていて、忘れそうになっていた
静けさが身体に満ちている。
有難いことに、書くことに関しての静かな集中力は、
いつのまにか私の一部になっている。
水道の蛇口の、いきおいよく流れだそうとする水を押さえていた指を
放すように、制限を外して生きていこう。

心の郵便物の仕分けは完了。
言葉の配達人として、職務に戻ります。