palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

未来の見えない時代に大学へ行くということ

敷かれたレールの先に未来はあるのか

子どもが小学高高学年ともなると、周りには塾へ通う子が増えてくる。
中学受験をするならほとんどの親は子どもを通塾させるし、たとえ明確な
目標がなくても塾へ通わせる家庭が増えていく。
我が家は通塾させていない。
心が揺れないと言えば嘘になる。

子どもが中学生、高校生になると、塾へ通わせることはもはや疑問文で語られることはない。
それは親に迷いがなくなったからではなく、納得のいく答えが見つかったからでもない。
塾に通うのは、通わせるのは、親子にとって当たり前の日常に組み込まれるからだ。
着々と安定した敷かれたレールの上を進む人生は始まっていく。

個性の時代というけれど

ずいぶん前から、金子みすずの「みんな違って、みんないい」という詩の一節に表される
「個性を尊重した」多様性を肯定する価値観は、世の中に浸透しているように思える。
でも本当にそれは、目の前のわが子に、わが教え子に当てはめられているのか。

枠の中での「みんな違って、みんないい」

みんな違って個性を発揮してもいいのは、大学に進学するという前提の枠からははみ出さない
範囲で許されるかりそめのものに思える。
私立大学を選ぶか、国立大学を選ぶか。学部はどこにするか。文系、理系など。
あくまで前提は「大学進学」だ。
もし中学卒業後働きたいと子どもが言い、親がそれに理解を示したらどうなるか。
学力が劣る訳でもないのに大学進学をしないという選択をするということが、
下手をしたら親が子どもの将来にに対して無責任と、非難を浴びせられかねないのが日本の状況だ。

大学へ入学し卒業し就職するということ、レールの上を滑らかに進む人生

話を戻して、枠からはみ出さず、首尾よくわが子が偏差値の高いより就職に有利な大学に
受かった場合を考えてみる。
無事大学を卒業し一流といわれる企業に就職すれば、それは人生の成功なのか。

明治時代は、大学を卒業し就職する=出世街道を邁進する=輝かしい未来へと続く保証があった。
大正、昭和と時代が進むにつれ、「大学」の価値は相対的に下がるが、それでも大学を卒業することは
以前ほどではないが豊かな将来へのパスポートとして機能していた。
でも平成を四半世紀過ぎた今、社会構造は変化し、もはや一流大学卒という肩書だけでは
先の保証がない時代へと突入している。
それでも大学は行かせる、行く価値があるのか。

学び舎としての大学

本来大学は自分の学びたいことを、より深く勉強したい人間が通う場であった。
知的好奇心を満たし、教養を深め、教授や学友からの刺激を受けて自己の成長をうながす場。
決められたレールの人生に進むための準備機関ではなかったハズだ。
もちろん現代でも実験に興奮したり、真理を知り学びを深めている学生も存在する。
大学を否定したいわけじゃない。

敷かれたレールから外れないようにと焦るなら、大学なんて行かなくていい

潰れるはずのない会社が潰れ、シニアや女性の活用が叫ばれても、若者の真の活用には
不思議と企業は消極的だ。
会社の先輩から後輩へ、企業から従業員へと受け継がれた様々な目に見えない知恵や恩恵は、
段階を経て日本社会から徐々に消滅しだした。プツリと途絶えたように見える。
安定したレールが砂上の楼閣のように揺らぎだしたころから、「自己責任」という前向きな言葉が
頻繁にささやかれるようになった。
レールにたとえ乗っていても、もう保証はない。
レールは断絶しているときもあるし、徐々に脱線していく場合もある。
そんなとき企業は、社会は知らんふりをする。
「自己責任」でお願いしますということ。

自分で考えて行動する

自分以外のものに従い、レールに乗ることが目標となった人生では、やがて行き詰まる。
そんな人生に疑問を持たずに障害を全うできる世代は後期高齢者のみ。
今を生きる私たちは、人生の途中で総括を求められることが一度はある世代だ。

親は心の奥底で様々な気持ちを感じている。
「レールにそった人生をすすむことが幸せに通じることとは限らない」
「自分の心の声に従い、自分が人生をデザインできたら・・でも、どうやって」
住宅ローンに親の介護。余計なことを考える暇はない」
「子どもには自分より豊かな人生を歩んでほしい。でもどうしたらいいのか。
とりあえず一流と呼ばれる大学に入ることが大切だ」

気持ちを感じきること。そして少しずつ既存の在り方を変えられないか
自分に問いかけをすること。
親がまず自分で考えることを始めることが、子どもの未来を変える。

レールのない生き方を模索するための大学

未来の見えない時代に大学に進む子ども達。
知識の詰め込みではなく、直観を信じて、心のままに生きてほしい。
そのために大学を利用したらいい。

小学生の子どもがいる私。
大学へ行くということの意味を人に問われたら、即答できる自信はない。

「レールにそった人生はもうこの先はなくなっていく、だから自分の心の声を聴き
あなたのオリジナルな選択をするといい。その選択しとして大学を活用しよう」
現在の段階ではこのくらいのことしか言えない。
あともうひとつ。
「迷ったら楽しい、幸せとかんじる方へ進むのがおススメ」