palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

娘の合格

格通知は、環境を変えるためのパスポート

おかげさまで娘は第1志望の中高一貫公立中学校、
第2志望の私立中学校の2校に無事合格しました。

受験を思いたったのは6年生の7月。
5年生の後半からひどくなった、娘へのイジメが
本格的に表面に出た頃でした。

このまま校区内の中学校に進みたくない、
かといって隣の校区の中学にいけば、
「何で、わざわざ校区外に進学したのだろう」と
噂をされるのも耐えられないと、ぽつぽつ語る娘を、
絶対に、絶対に、見殺しにはしないと決意しました。

その後中学校のオープンキャンパスに出かけ、
世界は広いことを娘が実感し受験に興味をしめしたので、
元PTA仲間に受験塾を紹介してもらい特訓コースに
娘を放り込みました。

本人が乗り気で入った塾でも勉強への抵抗は激しく、
塾へ行き渋る娘。
本気で叱る、先生と私。
ぎりぎり12月末から勉強モードに入り、有難いことに
良い結果がでました。

自分の仕事、娘の進路、先の見えなさが苦しかった一か月

この間、私は今後の仕事のうえでプラスになる案件を娘の
受験時期と重なるため辞退しました。
それはとても心惹かれる人物への取材。
これを行うことで得るモノはたくさんあっただろうなと
今でも感じるオファー。
でも娘に伴走するために追い込みの最終週近くからは、
新規の仕事は行わず娘中心でいました。

その一方で今月から昼間の事務などのパートタイムの
仕事を始めました。
海外青年協力隊の方達との茶話会等への出席も
含まれる不思議な内容と、ライター業に励むよう
応援してくださる温かい社長のお人柄、両方に心が
惹かれこちらの仕事は受けました。
この展開は、私が己の道を歩んでいるサインだと感じます。

だいじょうぶ、わたしたちは、良い方向に向かっている。

自分の選択は良い結果につながると感じていました。
でも、それでも
「もしも2校ともご縁がなかったらどうしよう。」
この問いは、今日まで頭から離れませんでした。

校区外の中学校へ行かせないためには、
引っ越さなくてはならない。
けれど私は自分の進みたい方向や
出逢うべき人々と繋がりだしている。
ここで島に移住はできない。
でも娘を傷つける要素をこれ以上
増やすことはしたくない。
試験に絶対はないし、あぁ神様。

受験が、うまくいきますように。
報われてもいいのではないか。
でも、駄目なときだってある。

希望と不安が交互に心にわいてきて、感情が
ついていけない、感情の船酔いのような状態が
続いていました。

自分の上書きをして、新たに踏み出す

結婚生活の末期、我慢や失望を繰り返し体験するうちに、
私は不幸(な考え方をすること)と親しくなっていました。
幸せを感じる瞬間とはごく僅かで、それは虹のようなもの。
こんなまやかしで誤魔化して息をしていました。
希望を砕かれるのは辛いから、最初から良くないことを想定
しておけば失望は最小限ですむ。
その思考パターンが今回はずっと目の前にぶらさがるように
見えていて、伸びすぎた前髪のようにうっとおしかった。
もうこんなじゃまな考えは捨ててしまいたい。
私は、あの頃とは違う。

不幸(と考えたり、感じること)に慣れても、
いつからでも幸福(と感じること)に慣れることはできる。

娘の合格を願う毎日は、私の中のいつのまにかマイナスに
設定されていた心の目盛りを変える毎日でもありました。

良いことのあとに、良いことがある人生を受けいれる。
辛いことのあとにしか幸せがこないとはかぎらない、
そういう展開も悪くはないけれど、もっとのびやかに、
心地良いまま幸せになってもいい。

娘は意地悪な同級生に傷つけられたけれど、
それはもう済んだこと。未来は白紙。
堂々と彼女は幸せになればいい。

いろいろ言葉が浮かびますが、まだまとまりません。

でも、私はみえない何かに勝てた気がします。

ブログを通じて励まし応援してくださった皆さん、
どうもありがとうございます。

野生児のようだった娘は、最終的には塾が好きに!
なりました。何より
「努力は君を裏切らない」という塾のスローガンを
実証できたことで、自信がつき小さいことを気にしなく
なり、ひと回り大きく成長しました。

おかげさまでわたしたちは、人生の喜びや出逢いに
感謝しながら、今ここを生きています。