palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

小学校の授業参観や懇談会が苦手なのはあなただけじゃない

授業参観や懇談会の後は、何故疲れるのだろう

小学校、懇談会、授業参観といった検索ワードでこのブログに辿りついて
くださる方がいらっしゃいます。

「懇談会が楽しみ!」というヒトはそもそも検索をしないと思うので、
たぶん憂鬱な気持ちでこれらの言葉を打ち込み、何らかの安心感や共感、
そうでなければ対処法を求めている方が多いのではないかと推測している私。

わかるなぁ。私も友だちも、こう言い合っているもの。
「どうして授業参観(懇談会)の後ってこんなに疲れるんだろうね!」

そこで、現在小学6年生の娘を持つ自分は授業参観や懇談会に
どう対処しているのか、ひとつの例として書いてみることにします。

まず小学校の保護者には大きくわけて3種類の考えを持つ保護者が
存在します。(独自の分類)

A 子ども同士が同学年で、一緒に遊んだり同じ習い事をしていたら、親同士もまた友人関係にあると考える保護者。(親同士の相性は重視しない)

B 子ども同士が同学年で、一緒に遊んだり同じ習い事をしていても、親と子どもは別であり、友人関係になるかどうかは親同士の相性によると考える保護者。

C 保育園や幼稚園までで保護者同士でじゅうぶんお付き合いをしたので、
小学校では保護者間に友人づきあいを求めていない保護者。

Aの保護者の中には、団体化すると中学生女子のように多数派の自分達を誇示する
ように固まり声高に話す方たちも多い。
そうかと思えば子ども同士の仲が険悪になり、互いの気まずい思いを隠して腹の
探り合いをしながらも、上辺だけ取りつくろっている方たちも見かけます。
どちらにせよ何だかボリューム感が凄い。

Bの保護者は、Aの保護者ほど固まっていないし必ずしも子どもの同学年に親しい
保護者がいるとは限らない。自分の気が合う保護者と無理をせずに付き合う方が
多い。ときおり単独行動になることもあり、授業参観などでAの保護者の方が群れ
ていると寂しさを感じることもあるかもしれない。← わたしはBに該当します


Cの保護者は、我が子は見たいけれど母親軍団に遭遇するのは嫌だなあと
考えている方と、たまに保護者と交わす挨拶程度の会話なら案外楽しいと
感じる方とが混在しており、ストレスを感じずさくっと授業参観、懇談会に
出席する方もいらっしゃり、バラバラな印象です。

授業参観や懇談会には、この3種類の異なる価値観の保護者が集まるのだから
疲れないわけがない。

他人にどう見られるかを意識せず、他人を観察するつもりでいくと疲れは軽減する

異なる価値観を持つ保護者が集まって、わが子や先生、他の子どもたちを観察する
だけではなく、自分が他の保護者からどのように見られているのかと自意識
過剰気味になるのが、授業参観であり懇談会だと思います。

Aの保護者の気になる目は、案外Aの保護者同士。

けれどBとCの保護者は、多数派であるAから見られている(と思っていて)
見られる自分を意識して平常心を保てず、居心地が悪いと感じることがある。

他の保護者にどう見られるかということは、ひとまず考えないようにして
自分以外の保護者を観察する方向に意識をシフトさせてみませんか。

顎(あご)をあげて背筋を伸ばして周りを見渡すと、眼光鋭いスーツの母親に
臆病な少女のかけらが隠れていたり、徒党を組むママ友グループから焦燥感や
危うさが、焦げた匂いのように漂っているのに気がつくかもしれない。
無口な印象の母親が、子どもたちひとりひとりの発表に心からの笑顔を
向けている瞬間を発見できるかもしれません。

意識を切り替えてのぞむと、気まずい時間はすぐにたちます。
細かいことより、子どもたちに気持ちが集中できるはず。

でももし、こんな風に気持ちが切り替えられなくても大丈夫です。
授業参観や保護者会を心底楽しんでいる保護者なんて、ごく少数だから。
どんなに友人が多かろうと、ママ友グループで君臨していようと、
ザワザワ感は皆平等に感じています。

この対処法は、主に検索をされているBとCの保護者の方に向けて
書いたものです。
Aの保護者で、子どもがグループから外れて自分の居場所がなくなった方
などへの対処法は、個々のケースで変わるので省略することにします。

Aの方は友人関係とは何なんだろうと自問自答するうちにおそらく
答えを見つけられると思いますが、参考までに本を一冊挙げてみます。

「きみの友だち」重松清 作

母親業を行っている、仲間の皆様の健闘を祈ります。
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