palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

「ママ友」という言葉にしばられなくてもいい

ママ友とは職場の同僚であり子どもを持つ知人と考えている、私の場合。

「ふぅー、○○ちゃん宅でのハロウィンパーティーが終わって
疲れたわー。」
「△△さんがトイレに立つ間に、悪口言いだすヒトがいてさ。
もうこんな付き合い嫌だって思った。」
ハロウィーンの手作りお菓子は頂いても基本母親参加型の
イベントには参加しない私は、
「そうかー、それは疲れたね。(母親業)おつかれさま。」
と彼女をねぎらった。

上は大学生、下は小学性の3人の子どもを持つ彼女。
細やかに他人に気を遣うヒトなので、微妙な現場の雰囲気を
調整する役をみずからかってでて、パーティーが終わった後
には笑顔の裏でどっと疲れただろう。
話を聞くだけでその状況が想像できる。
ママ友を友だちと思っていたら、それは傷つくし嫌だよね。


私はママ友を、子どものいる知人カテゴリーに分類している。
自分の中ではママ友=職場の同僚といった感じなので、
ママ友には過剰な期待はしないことに決めている。
だから彼女を見ていて、ママ友=友人と解釈すると
生きにくいよなぁと思ってしまう。

こんな愚痴をきいたとき、嫌ならつきあわなければいいと
バッサリ切り捨てるのは簡単だけれど、ヒトはこれまで
歩んできた人生のなかで形成された信念を持っている。
今まで嫌というほど母親同士の付き合いをこなしていて、
それでも義理の付き合い続けているのには、きっと本人にも
把握しきれない理由があるのだろうと推察する。

自分が孤立するのではないか、という不安。
子どもの友だち関係に影響するのではないかという不安。
(特に子どもが女子の場合)
上辺だけの付き合いは好きではないけれど、突っ込んだ話を
して周りから浮くのは避けたい。それに繋がりは大事だから、
我慢しとかないといけないんじゃないかという不安。

ざっと思い浮かんだのはこのくらい。

私はいち抜けたで、今は快適に自分の距離感を保ちヒトとは
接しているけれど、皆それぞれ手放せない(と思っている)
気持ちなり事情なり抱えて生きているから、難しい。

無事にママとしての任務を終えて、疲れたと愚痴を言いながら
満足しているようにも見える友人。
だから私は、わざわざ自分のママ友のカテゴリー分けについて
伝えない。

でも、もし彼女から相談されたときには、
こう答えようと思っている。
無理にそのママ友関係のなかで、友人関係を築こうと
しなくてもいいんじゃないと。

職場の同僚は親友になることもあるし、ただの通りすがりで終わることもある。

彼女と私は、PTAの本部役員メンバーとして1年間一緒に
過酷な仕事をした。
彼女には真っ先に娘がイジメにあったことを伝えたし、
彼女が推薦してくれた塾に娘は通っている。

子ども同士は学年も性別も違うから、接点は全くない。
一緒にパーティーをしたり、授業参観前にランチに誘い
合って出かけるような仲でもないのだけれど、いざという
ときにはPTA仲間である他のメンバーも交えて助け合う
関係だ。
デリケートな子どもの問題を相談しても、みだりに口外
しないことを互いに了承している、戦友のような友人。

こういう関係になることを意図したわけではない。
私流の解釈では、これは職場で出会った子どもを持つ知人が
自分の友人に変わった、幸福なケースのひとつといえるかな。

ママ友という言葉が問題なのかもしれないなぁと思う。
ママで友だち。
友だちとは仲良くしましょう。
子どもに言い聞かせる言葉に、母親は縛られる。

小学1年生の「友だち100人できるかな。」の歌は微笑ましい
けれど、それは無理だろうと大人はわかっている。
たとえば職場で、
「ほう、君たちは同じ歳で女性(男性)同士かい!
じゃあ共通点がいっぱいだし、すぐ仲良くなれるな!」
と上司に言われたら、それは無茶だろうと大抵のヒトは
考えるだろう。
母親同士は年齢も、趣味も、嗜好も、生活環境も全く違う。
それなのに、ママだから、子どもが同学年ならみんな同じ、
友だちさという風な、乱暴で単純な個人の人格を無視した
くくりがなされているのだから、葛藤はおきて当たり前。

「ママ友」にときとして付随してくる「~ねばならない」
という考え、そのくくりに自分がとらわれなくてもいい。
従順に従わなくてもいい。

職場の同僚の知人と仲良くする・しないは自分に
選択権がある。
ヒトは自分が選択をしたと思えたら、案外どんなことも
サクッと納得できる。
業務を円滑にするために最低限のお付き合いはこなすと
いう考えもいいし、偶然趣味が合うヒトが同僚にいて、
会社は退職したけれど、彼女との付き合いは今でも続いて
いるもいいし、何でもありで何でもいい。

子どもが生まれると、ママ友という関係が存在することに
気がつく。きっとみんな、一度はその関係性に
「これって何なの(泣)。」
と感じることがあると思う。

「ママ友」にまつわることは、それこそ星の数ほどネットに
あふれていて、「ママ友」の解釈もヒトそれぞれ。
互いの「ママ友」の認識がずれていることがそもそも前提に
あるのに、この前提が、これまた最初はわかりにくいのだもの。
もうこればかりは、トライ&エラーというか実践あるのみ。

ひとつ思うことは、自分のものさしを持って、子どもではなく
自分優先にした方がきっとうまくいくんじゃないかなってこと。
どうしたら自分がご機嫌でいられるかは、本人にしかわからない
から、自分の心に聞いてみてねとしか言えないのがもどかしい
けれど、どんな選択も大丈夫。

友だちは、つくるものではなくて、自然にできるもの。
この言葉は、大人にこそあてはめてみたい。