娘の顛末、日々の成長
少しずつ動く現実
早いもので、あと10日あまりで冬休みとなる。
娘の気持ちを聞き、学校を休ませた頃から2か月が過ぎた。
インフルエンザ、チョコの交換なしのバレンタイン、風邪ひき。
3DSにはまり、宿題を終わらせられず、登校を渋る日々。
みぞれ雪がぐずぐずと続くように、娘にとって灰色の時間は、永遠に続くように
思われたが、春は私達親子にも来た、と感じる。
1月半ばから娘との時間を、寄り添う時間を持つことを努めてきた。
本人の気持ちを第一に、でも寂しくないように。
それでも意思疎通が上手くいかず、何度もぶつかった。
「ママは嘘つきだ!!」
何度目かの話し合いで、身体から振り絞るようにこの言葉を吐き出した娘。
「???」私は何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
娘が小さいころから、いわゆる口約束や子どもだましなことをすることはなかった。
嘘を言うこともほとんどなかった。だから娘の言葉が心外で聞き返した。
「どうして?ママは嘘つきじゃないよ!」
「だって・・・皆は私といると楽しいに変えたのに、ちっとも学校で変わらないよ!
だから、ママは嘘つきだ!もう信じない。」
何だかひねくれた態度だなとは感じていた。
けれど、娘がこんなことを気に病んでいたとは。明らかな私の説明不足。
「○○ちゃん、ごめんね、ママの説明が足りなかった。たとえば・・お店で料理を注文すると
するよね。そうしたら、お料理はすぐに出ると思う?それとも作る時間がかかるから、注文して
しばらく時間がたってから出てくると思う?」
「そりゃー、注文してすぐじゃないでしょう。」
「そうだよね。人間の想いも現実に反映するには時間がかかるの。こうなればいいなーと
思うとする。それが現実になるには少し時間差が現れるわけ。本当にごめんね。
この仕組みを言い忘れてた。」
娘は前提を変えると、魔法の杖を一振りするように現実が変わると思っていたようだ。
だから動かない(ように見える)現実に絶望して私に噛みついてきたのだ。
「そっかー。それなら・・わかった。」
娘の顔に笑顔が戻る。良かった納得してくれて。ごめんなさい、ありがとう。
全部が嫌なことではないのに、どうしても嫌なことばかりを拡大してしまい、
全てが嫌と家で暴れることもあった。
あまりにも八つ当たりをされると、私も腹が立ってきて、
「ママは人の感情のゴミ箱じゃない!」
と真剣に子ども相手に怒ったこともある。
悪態をつきながら、つっかかる娘。
でも私が腕を広げてハグのポーズで待ち構えると、
「ママー。」と泣きながら飛び込んできて、ごめんなさいを言う娘。
少しずつ、私は強くなり、攻撃は愛情を求める表現のひとつだということが
腑に落ちるようになった。
元夫も、愛情を求めていたのだろう。
そして私も。
かつての夫婦喧嘩を思い出す。ハリネズミのように歩み寄れなかった私達。
それも今となっては、それはそれでいい、遠い思い出だ。
泣いたり笑ったり、踊ったり、アイスクリームを食べてDVDを鑑賞したりする内に、
娘の現実は動いていた。
「明日から●●と朝も帰りも別に行くことになったよ。」
3月に入り、もうすぐ春休みだからと娘を励ましていたある日の朝。
娘の計算ドリルが落ちているのに気が付き、めずらしくマンションの廊下から
登校しようとする娘たちに声をかけた。その時私はパジャマだった。
それを娘の友人の●●ちゃんがけなし、娘が私をかばい
「パジャマの何が悪いの!」といい、●●ちゃんが気を悪くして
「もう朝は他の子と登校するし、帰りも別にする。絶交」
と宣言したのだった。
「●●ちゃん、また?何回目かな。一緒に朝行けなくてさみしい?」
「うん、慣れてる友達だから、少しショックだよ。」
娘は冷静に話すが複雑な気持ちが伝わり、原因となった私は申し訳なく感じそうになる。
「でもね、前も辞書をひくのが好きって言ったら怒って絶交してきたし、何とも
いえないわ、ママ。」
「わたしもそう思う。●●はすぐ怒るし。こんなことで・・悲しいよ。」
慣れた友人でないと、慣れた学校じゃないとと、新しいことに不安を感じやすい娘。
さて、登校をもっと渋るのかなと、こちらはこちらの思惑で辛い気持ちになった。
「今日は△△ちゃんに声をかけて一緒に帰ったよ。」
別々に登下校するようになり2日目。
私は帰宅後「今日は帰りは一人で帰ったの。」
と尋ねてみた。すると娘からは
「△△ちゃんと帰ったんだ。」
という答えが返ってきた。
娘が、他の子に自分から声をかけた。
絶交されたことも、流れにのっているなら悪いことではないはずと私は信じていた。
娘にも新たな友達を開拓するチャンスかもよ♪とそれとなく語りはした。
まだ休み時間は図書館に行ったり、特定の子はいないけれど、この自分で動いた娘の
行動は、充分すぎる嬉しいサプライズだ。
独りでいてもいいよ。でも友達と楽しく帰るのもいいよね。
2人で軽く同意しあう。
「なんかさー、他の友達と帰るのもいいよね♪」
少し頼もしくなった娘。生意気な言動も気にならず、今は嬉しい。
「そうだよね。」
2人で笑い合う。
ヒトの成長は階段のようには進まない。
種を植えて、まだ芽が出ないとじれじれするように、待つことは時に苦しい。
でも信じて、見守っていると、ある日障害は障害ではなくなり、
高かったハードルは路肩の段差くらいに低く感じる時がくる。
ひょいとまたいで、スキップしていこう。
大丈夫、人は皆明るい方へ進んでいくようにできている。