元夫からの電話
ここ数日タイミングのずれた時間にかかる電話
娘が電話で話している相手は、元夫だった。
「・・ママにかわる?うん、わかった。」
娘がたたた・・と寄ってきて、何故か口パクで声をひそめて話す。
「パパから電話だよ。どうする・・・。」
「かわるっていってたよね。」
娘なりに気を遣ったみたいだが、私がいることはばれてるでしょ。
「はい、もしもし。」つい硬い声で応答してしまう。
昨日は昼間スマホに着信があり、夜にはお風呂上りに電話が鳴った。
今日は服も着ているし、時間も早いし、まだマシかな。
思いがけない元夫からの言葉
先々週に捻じれた想いを電話でぶつけられてから、彼からの電話には警戒するようになった。
娘がいる限り全く接触を断つことはできないから、わだかまりがあるのに会話しなくてはいけないこともある。
捻じれた想いをぶつけられた時は頭がくらくらして、これは軽い?拷問だと思った。
今日はどんな言葉がでてくるのか。気持ちは進まないが、仕方がない。
半ば覚悟して元夫の声に耳を傾けると、意外にも離婚に関する手続きの遅れへの謝罪の言葉が聞こえてきた。
彼の言葉が引き起こした私の中の化学反応
「・・・というわけで、申し訳ないけれど××は来週にしてもらいたい。」
「○○ちゃんのことが最優先だから、それは別にいいから。・・ありがとう。」
素直に詫びを入れる元夫に、こちらも謝罪と感謝を伝える。
彼は、今、こういうことを言う心境になれたのか。
自分のためよりも、彼のために良かったと思った。
不思議なことに離婚して、わかってきたことは、
私も、元夫もお互いに一途だったこと。
愛情が存在していたこと。
どこかでボタンの掛け違えがおきたこと。
元夫は相変わらず一途な男性だ。
離れても大切に思ってもらえているということが、今日は不快ではない。
私たちは「終わった」とわかっているから、安心して思い遣りを受け入れられる。
愛憎とは遠い、穏やかな地点に着地している二人の関係性が、少し見えてきたせいもあるだろう。
もう離婚して関係は終わったのに、感じる「切なさ」
電話を切り、目には見えないカシミアのストールでくるまれたような余韻が残る。
さっき、何故か夜なのに娘と急に思い立ち、一緒に作ったホットケーキ。
娘はたっぷり、私は少なめにメープルシロップをかけて美味しくいただいた。
子どもの頃読んだ「大きな森の小さな家」の本(だったと思う)に、冬ローラ達がカエデの樹液を採り、
煮詰めて雪の上に垂らしてキャンディーにしたり、メープルシロップを作った話があったっけ。
そのメープルシロップのように濃縮した甘い気持ちが胸に突き上げる。
この気持ちに一番相応しい形容詞は「切ない」
苛立ちや、涙や、怒りやあれこれはとうに漉して濾過してしまっている、今日感じているのは切なさだけ。
元夫からの電話で、切なさをもらった。
こういう気持ちが私にとっては何よりの生きる力の源になる。
もう一度人間として、女性として、より強くしなやかに再生できる。
財産とか慰謝料とか、頂いていないけれど、そんなものなんかより
心の糧になる「切なさ」を感じられる契機をくれたことに、ありがとう。
私たちの結婚生活には意味があった、出逢ったことは意味があったと感じられることが、
何よりも嬉しい。私にとって最大の喜びだ。
こんなことをもし話しても、現実主義者の貴方は「????」となるだろう。
もちろん話すこともないし、共感してほしいとも思わない。
酔っぱらいの戯言みたいだけれど、私は酔ってはいない。
今日私に向けてくれた一途さを受け止めて、明日からも、私は一人で立って生きていく。
離婚は別れというより、やっぱり卒業。
卒業した後の二人の進路は違うけれど、私たちには母校のかわりに娘がいる。