娘のこと、仕事のこと、生きること
インフルエンザの次は娘の微熱
2月は「熱」で始まった月だった。
私の風邪、その次は娘と私のインフルエンザ、今度は娘の風邪。
私たちは病気の合間に、仕事をして、学校に行き、私は遠方の友人と連絡をとり、
娘はほんの少し友人との距離が縮まり。
とにかく生きてきた。よく頑張りました。
ようやく2月半ば。気が付くと4時半を過ぎても道路は車のヘッドライトなしで
運転できるようになっていた。
日が長くなり、来月にはコートを脱いで外出できる日がやってくるかもしれない。
熱は身体の中の余分なウィルスを殺す役目もあるので、我が家ではむやみに解熱剤は
使わないようにしている。(ただし子どもがぐったりするときは臨機応変に対応)
この熱は、新しくより良い身体になるための善きものと信じよう。
一度空っぽにしてみて、選択しなおすということ
12月に離婚をしてから、いろんなモノが見えてきた。
幼児のひっくり返したおもちゃ箱の中身のような様々なモノは、
夫のモノが混じっていたり、旧い価値観が小さく残っていたり、
もうないと思っていた私の反応パターンを誘発するスイッチや、
忘れていたビー玉のようなひっそり輝く静かな幸せな記憶も入っていた。
それらをゴミを分別するように仕分けし点検し、手放すモノ、残すモノを決める。
手放すのは、自分より愛する人を優先しがちな習慣、自分を厳しく責めること、完璧主義の欠片たち。
残すのは、誰が何を言おうと自分の味方で自分のそのままでも結構いいじゃないと思える楽観的で向日葵
のような私の信念、遊び心、やんちゃな気持ち、反骨精神、など。
手放したモノがなくなると、おもちゃ箱の中はすっきりして余白が見える。
新しく希望、夢、欲しいモノリストをまずは入れてお片付けはおしまい。
離婚して、旧いしがらみやあるべき家族像から自由になったら、心に隙間ができる。
引っ越して瞬く間に空間を家具で埋めるようなことはしたことがないように、
私は新しい人生を早急に決定してあらゆる案件を心につめこむことを、選択しない。
離婚をするときは「選択する」= 行動することが重要だった。
今はしばし「選択しないこと」= 立ち止まることを選択してみる。
私は私のペースで生きていこう。
微熱の娘とたわいのないおしゃべりをして、管理人さんの送別会出席の打ち合わせを友人と行い、
こうして久しぶりにブログを書いている平穏なひとときが心地よい。
特に12月からジェットコースターに乗るような毎日を過ごしてきたけれど、有難いことに
そちらは終わった気がする。
寄せては返す海の波のように、感情の波を起こし起こされ、辿りついたのは平和な島といった感じ。
外野が何を言おうと、島の住人の私にはキコエテキマセン。
聴こえるのは波の音と、鳥のさえずりと、風の音。
自分の心から便りが届くまでは、今後の生き方をどうするかという命題を、一旦忘れます。
田辺聖子さんの小説に「過渡期」という言葉を効果的に茶化して使うシーンがある。
私も便乗して、今は「過渡期」だから何でもOK♪