palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

娘の怪我、仕事辞退、もう一度振り出しに戻る

f:id:palewhite:20141106130345j:plain

入社二日目の朝、娘右足にタンスの引出しが直撃

早朝の簿記勉強を終え洗濯物を取り込み、あとは7時20分の娘の登校を見送ればOK。
その後1時間弱簿記を勉強し出勤と頭の中で計画を立てていると、子ども部屋から大声が
聞こえてきた。普段から爪先をぶつけた、頭を打ったとそそっかしい娘。
いつものことと放置していたら声が止まらない。
何かが変だと思い子ども部屋に入ると、子どもの足の上にタンスの引き出しがかぶさっていた。

「どうしたの!」
「引出しひっぱったら落ちてきて足の上にぶつかった。怖いよ~。」
引出しのストッパーが前々回の引っ越しで壊れていたのだった。修理を失念していた。
引出しはどうでもいい、娘を救助しなければ。そうっと引出しをずらし、固まっている娘の足を見る。
本人が指差す右足甲・指先を動かさないようにそっと点検。赤くなってはいるけれど、まだ腫れはない。
だんだん痺れてきたと泣きそうになる娘を見て、整形外科受診を決めた。

今日はマラソン大会で、家の中で腹筋をしたりせっかく自主練してたのにね。
会計事務所には遅れると電話しよう、・・・場合によっては休まないと。
このタイミングに、心がざわついてくる。落ち着いた顔を作りたいが、今日は無理だ。

怪我が打撲で済んだ幸運と、入社早々仕事を休む申し訳なさと

かかりつけの整形外科で、レントゲン室に入る娘が骨折していないように祈る。
簿記の参考書は開いても理解できないし、何も手がつかない。
車いすでレントゲン室から出てきた娘にドラゴンボールの漫画を渡し、診察室に呼ばれるのを待つ。

有り難いことにすぐ診察室には呼ばれ、娘は骨折ではなく、打撲のひどいのだと診断を受けた。
しばらくは登下校の車での送迎、体育の禁止、足をなるべく使わないこと、来週からはリハビリ開始と
先生が優しくてきぱきと説明してくださる。最悪は免れたことに安堵し娘と喜び合い、学校に連絡を入れる。
「あー今日マラソン大会で5年生は陸上競技場に行っているので、今から合流するか、11時半以降学校に
来るかですねー。」と学校事務の方から聞き、娘は11時半まで自宅待機、私は仕事を休むことに決めた。

娘を送迎し、ふと立ち止まり感じる自分の気持ち

足を引きずりながら小学校の下駄箱へ進む娘を見送りながら、次の迎え4時まで自分にぽっかりと時間が
できたことに気がつく。先週の水曜日の第1回目離婚話し合いの平行線から、2社面接、初出社、
連日の簿記勉強で蓄積していた疲れが、ファイルの圧縮を解凍したかのように、全身に満ちてきた。

水曜日、夫側についた母の予想外の反応に動揺し、ホテルのティールームを出た後、人の行き交う往来で
    涙を流す。大好きなヴォイストレーニング欠席。
木曜日、パソコンスクールの方と受講に関しての約束あり。ハローワークの方から英語とパソコン両方が
    できる人材が不足しているので是非挑戦をと励ましの言葉も頂き、家に籠っていられないと動く。
金曜日、特許事務所面接⇒火曜日に採用と連絡を受けるが辞退。
土曜日、会計事務所面接、試験合格、即日採用決定。
日曜日、月曜日、会計事務所出社へ向けての準備と簿記勉強。
火曜日、初出社。
水曜日、娘の怪我のため仕事を休む。

スケジュール帳は埋め尽くされ何としても仕事を見つけるという願いもかなった。
けれど、水曜日に受けた心の衝撃はずっと放置されていて、本当はとても悲しかった。

娘の小学校入学時、学童保育に申し込み、さあ仕事をと意気込んでいた時、夫と母に強固に反対され
学童申し込みをキャンセル。娘が3年生になるまで仕事には就かなかったがそのことは悔いはない。
この度も派遣会社からフルタイム英語使用の求人を紹介され心が動いたが、やはり娘に急激な変化を
受け止めてもらうのも申し訳なく、パートタイム求人の中から可能な限り自分の希望に近いものを
物色した。けれど夫と母はパートタイムで働くことを懸念しだし、離婚を翻すシナリオを仄めかした。
「無理に働かなくていい、子どもは犠牲にしないで」と言いながら、「フルタイム勤務もしなくて、
どうやって生きていくつもり?覚悟が甘いのでは?」と問いかける、そのダブルスタンダード

私は追い詰められていた。普段の私ではない状態で先週は突っ走ってきたのだわ。
もう一度、原点に還って、私はどうしたいの?

もしかしたらギフトかもしれない、この空白の時間に久しぶりに正面から自分の心に挑む。
自分に誠実に生きることを選択するのだから、違和感には敏感に、直観を信じて、退却する勇気も必要。
自由に生きる私になるという最終目標に到達するために・・・・今できることは、求めることは?

まずは自由に生きている人に、現在の私の状況をカミングアウトしよう。何故私がヴォイストレーニングに
真剣か不思議に思っていられるみたいだから、いい機会かもしれない。
今日の夜はヴォイストレーニングの日だから、レッスン終了後先生のご都合が合えば、時間を作ってもらおう。

今後のヴォイストレーニングについてと自分の現状を、先生と話し合う

レッスンの部屋に入ると、いつもは裸足の先生も先輩も、まだ靴を履き紙を持ち何事か話し合っている。
「びっくりせんといてね。」
と言いながら先生は私にも紙をくださる。そこには突然ながらとヴォイストレーニングレッスンの
12月での休止のお知らせと、先生のお考えが書かれていた。本当に突然だ。私も突っ立ってしまう。

最初はお知らせに戸惑いながらも、いつも通り楽しく進むレッスン最中、突然先生から私に、
「声の課題は、なーんか枠にはまっているというか抑制されとるのがあるから、その殻を破ることやね。」
とアドバイスがあった。
つくづく鋭い方だと痛感する。私の生育歴や現在離婚準備中のことも何もご存じないのに、生き方が声に
現れていることがわかる方には判ることに驚くと同時に、声の世界の奥深さに魅了される。

その後時間を作ってくださり、先生に現在の状況を話させてもらい、今後のレッスンをどうするか、
ナレーターの世界での先生の経験談など聞かせてもらう。
「俺が駆け出しのナレーターの頃、朝10時から夜6時はいつ仕事が入ってもいいように時間を空けておいて、
6時から12時頃までは劇団の稽古、その後深夜12時から4時までガストでバイトしとったなー。大体2年?
2年半くらい。」
「知り合いで元アナウンサーで紅茶のティーインストラクターで文章書いて講演もしとる女性もおるね。講師
しとったんならその仕事もまたするとかはどう?過去にした仕事で何が楽しかった?」
などたくさんの言葉をかけてくださり、それに応えながら気持ちが落ち着き明るくなるのを感じる。

「俺は簡単な方と難しい方があったら、難しい方を選んで生きることにしとる。」
と仰る先生に、
「私もそちらを選択したんです。だから、先生とこうしてお話しているんですよ♪」
と間髪入れずに答えて、二人で同じ嗜好を持つ仲間同士の連帯感を感じて微笑みあう。

会計事務所先生に退職を伝える、思いがけない温情に修復しだす心

今朝娘を小学校に送り、会計事務所へと向かう。財布を持ってきていない。ああ免許不携帯。
先生に時間を作ってもらい採用のお礼と感謝の気持ちを述べ、現在の心境を包み隠さず話す。
水曜日の離婚の話合いでのダメージで精神的に不安定なこと、娘の怪我、どうしても12月離婚を行う決意が
あること、簿記は意外とできそうな感触を得たけれど、英語とパソコンの勉強も継続したいこと、ただ現在
精神的に不安定な自分は御社で働くのは難しく、少なくとも今月15日くらいまで娘の世話をしながら
就職活動はせず静養したいこと。

先生は眼をそらさず、ずっと聞いてくださった。
「あんたの話はわかったが、英語とパソコンではたかが知れとると思うわ。12月いっぱいまであと1か月半
簿記の勉強を続けたら、面接にきてもいい。稼げるようにするために経理でない仕事を任せようと思っとった
から。ただそれは貴方が決めること。じゃあ1日分勤務のお金を払うからもう帰りなさい、このままいても
居辛いだろうから。」

どんな風な態度をとられても自分に非があるので甘んじて受けとめようと思っていた。
でも責められもせず、皮肉も言われず、黙って他人の先生が私の気持ちを尊重してくださった。
直属の上司の敏腕な女性の方にもあらましを説明させてもらう。この方は離婚経験者だ。
仕事に厳しい方なのに、離婚は大変だからとずっと柔らかく微笑み続けてくださる。
胸がいっぱいになるが、感謝をこの会社で表す術を私はもう、もっていない。
本当に申し訳ありません。ありがとうございます。平べったい言葉、でもこれしか発せられない。
こんなに気にかけてもらえて、有り難いことだと痛感する。私はチャンスを逃したのかもしれない。

けれど、先生方にお伝えしていないことがある。娘が中学に入学する前に、たぶん私はこの地を離れる。
夫と私の実家中間地点に購入したマンション。文教地区、近所には有数の進学校、教育熱心な保護者、
お父さんと同じお医者さんになることが夢と授業参観で発表する児童が集う、転勤族に推奨の小学校。
これら予定調和の世界とは、私はもう、違う世界で生きている。
会計事務所で育ててもらっても、ずっと勤続してそれに報いることを今はイメージできない。

どんな風に生きていくか、どんな選択を重ねるか、15日まで自分にダウンタイムを与えた。
今は思考停止をし、できるようになったらパソコンと英語の勉強をしよう。まだ人生は長い。

夫と母からの言葉をスルーできず、ダメージを受けとめる選択しかできなかった私。
その心のダメージの修復のきっかけは、全くの他人の会計事務所の先生と女性職員の方。
黒く変色しそうだった心に白い修正液が塗られ、夫や母が世の中の厳しさを唱えても、
私の現実世界は不思議と彼らとは違う視点の風景が広がっている。
迷惑をかけ、周りを振り回し生きている。申し訳ないと思う。
けれど、別居してブログを書きだした頃から違和感を感じることは止める、しないと決め生きている。
だからこのまましばし休憩しよう。