palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

母というひと

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生きにくさに気づいたら

子どもを持って思う。
母は何を思い子育てをしていたのだろうか。
優しさがあるのにそれは、子どもから見たら的外れな所に発揮されてばかりいた。
その理由を自分なりに推測したり、母本人に尋ねたけれど、結論はまだでない。

子どもの頃

今でも思い出すのは私が子どもの頃の朝食。
旅館の朝食かと思うような品数のおかずがきっちりと配置された食卓。
その光景を忘れられない。
働いていたのに、母は毎日家族にそんな朝食を提供していた。
「献身的」という表現がぴったりくる家族への奉仕。
目に見える世話という点では、私はとてもよくしてもらっている。

でも、私がどんな気持ちでいるかには無頓着な母だった。
子ども絵画コンクールに入選・作文の表彰・様々な賞状をもらってきても、
それらは決して飾られることはなく、引出しに無造作に重ねて詰め込まれていた。
賞状は暗がりに隠され、それらが明るみにでるのは唯一母がけん制し合いながら
他の母親と話す話題にのぼる時くらいだった。
心のこもった褒め言葉をかけれらることはめったになかった。
「出来て当たり前」の我が家で育ち、友人宅に行くとたった一枚の賞状が
恭しく床の間に飾られているのを見て不思議な気持ちになったことを覚えている。
褒めてほしかったねと、子どもの自分に今の自分ができることなら言ってあげたい。

振り返ると

心配性な母だったと思う。留学、地元以外での進学、就職を希望しても全て
「危険だから」という理由で却下された。もちろん親がどう反対しようと
自分の意思でしたいように生きていくことはできる。
けれど、自分の心のままに生きることは母に対する裏切りだと言葉にならない
メッセージを受けながら育つと、自己主張をするたびに罪悪感がつのる。
こうなると母が直接言葉を発しなくても、自分を偽る選択を重ねるようになる。

子どもを愛することは、子どもを支配してコントロールすることとは違う。

母は愛情は持っていたが表現方法がまずかった。
私はそのことに長い間気づけなかった。自分の何かが悪いと信じていた。
その結果、生きていて自分に不利益なこと自己犠牲的な役割を
引き受けることが多かった、今までの私。

私の選択

洗脳から目覚め、これからどうしようか。
娘に負の連鎖を引き継がないためにどう自分が生きるか。
この命題は難問だけど、気づいた瞬間から変えられる。
私はもう、変わることを選択した。
母もどうか新しい自分に出会うことを怖れないでほしい。

母というひとは、娘にとって永遠の謎。
解けなくても、解けてもどちらでもいい。
そう考えると楽になる。原因探しだけに没頭するには人生は短すぎるから、
母に囚われず、自分の人生を前に進めていくこと。
自分にとっての幸せを選択し続けること。
反面教師にこだわりすぎないで自由に生きていくこと。

息子として生まれたら、こんなに葛藤しなかったかもしれない。
私は母の娘で、母も祖母の娘で、娘は私の娘。
真珠のネックレスのようにつながる母と娘の関係は、逆転して
娘が母に愛情を注ぎ慈しみ導くこともできると思う。

連鎖は負だけではなく、愛もまた連鎖していくものだから。