palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

「学校に行きたくない」 子供のこと、私のこと 

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気がかりな娘の状況

娘は今のクラスに馴染んでいない。

とても気が合う1学年下の友達や、遠方にいる幼馴染、他校の友達はいるが、

すごく気持ちが通じる友達は今のクラスにはいない。

昨年グループで親しかった友達とはクラスが離れ、新しい友人の開拓にも積極的でない娘は、

女子特有の、群れたり、悪口を言いながらつるんだり、濃厚に互いを束縛したりとは距離をおき

図書館へ逃避したりして学校生活をおくっている。

好きなものは現在、ゴジラや両生類、3DSを使った作品作り、絵を描くこと、水族館、宇宙。

お洒落にはあまり興味がなく、ギャル風の同級生の中では幼く見える。

けれど私はこの人が、他人に嫌な発言をせず、優しく、自分より他人を優先することも多く、

お年寄りには席を譲り、勝手に絶交する友達を「しようがないなあ」と許す、

心の寛大な大きな人物であることを知っている。

私が小学5年生の頃は、人生で最高に腹黒かった。それからみると、別の星から来たような人物だ。

その娘が、「学校が辛い」と昨年より言うようになった。

通知表渡しのときには先生に見守ってほしいとお願いはしてきたけれど、

今年は友達とクリスマス会もせずに終わったし、2月のバレンタインデーに、

友チョコを交換するか、今から少しドキドキしている。

「無理に学校は行かなくてもいいからね。心の健康の方が大事。」


今朝は朝から泣く娘に、心の健康のために休む日を作ろうと提案した。

娘は「うん、わかった。でも用意したし行ってくるよ。」

と泣いた後はさっぱりした顔で応え、いつもの時間に呼びにくる友達のインターホンを鳴らす音に

急いで廊下を通り抜け、玄関をすり抜けていった。

登校を嫌がっていないから、大丈夫?

・・・そうとは限らない。わたしにできることは、なに?

私は、個人的には学校は嫌なら転校はありだと思っている。

娘に良かれと思ってこの公立小学校に入れたが、学年により驚くほど雰囲気が違い、

娘の学年は気が強く、女子っぽい女の子が主流。

低学年の頃からそれとなく、お友達を家に招いたり、ガールスカウトに入れたり、キャンプに放り込んだり

本人の少し不得手に感じている、人との接触の機会を増やすように心掛けて実行してきた。

けれど、もう高学年だし、人付き合いは、幼いころはその人の持って生まれた性質に影響されるのではと、

私は見守る方へまわった。

友達がいないとダメなんてサラサラ思ってもいないし、自分自身はこれぞという人と深く付き合うタイプ。

それでも自分は、着実に気の合う友達は年々増えている。

だから娘が親しくしたい人が見つからないクラスで独りでいても、それはそれでいいと常々語ってきた。

でも涙がでるようなら、さびしいだけじゃなくて、本当は仲良くしたい気持ちもあるんだよね?

娘が幼稚園の頃、園長先生から「この子は○○学院(唯一の私立小学校)に入学するほうがいいのでは?」

と勧められ、その小学校を見学に行ったことがある。

そこには、浮世離れしたほわーっとした雰囲気の女の子たちが多数いて、娘はパズルのピースのように、

その空間に馴染んでいた。

けれど、悩みに悩んだ末、元夫と私は質実剛健(に見えた)近所の評判の良い公立小学校を選んだ。

あのときこうすれば、という後悔は、自分のことではほとんどないのに、娘に関してはつい考えそうになる。

明日、学校の休み時間目指して小学校に行って様子を見てこよう。

信頼する友人も、この気持ちを後押ししてくれた。実行あるのみ。

娘には、学校は世界中にある、だから転校してもいいし、なんでもいい。その場所がたまたま合わないことは

誰にでも起きうることで、そんなときに場所を変えるのは逃げでもなんでもない、と常日頃から話してある。

けれど娘は「でもまだ1日も休んでないし。学校好きだし。」

と返事して以前、話はそこで終わっていた。

けれど今回は少し違う感じ。たかが学校のために精神的に追い詰められて二次障害を発症する中・高校生が

都市部ではたくさんいるらしい。実話が重い。

娘がそのままで素晴らしいのに、クラスの女子と自分が違うことや馴染めないことで、自己肯定感を下げる姿を

黙って見守るのは苦しい。だから、ひとつワークをやってみた。

わたし:「○○ちゃん、言葉の続きを言ってみてね。私は皆に・・・・さあなんて言う?」

娘  :「私は皆に・・・無視される、かなあ?」

わたし:「自分でそんな設定するのは止めよう。友達他のクラスにいるし、本当に無視されている?」

娘  :「そんなことない、ただ話が合わなくて空気みたいに扱われることは、ある。
     前親しかった子たちとも距離できたし。」

わたし:「じゃあ、こんな風に言ってみよう。私と話す人は皆楽しい。他の言い方も考えよう・・・」

だんだん明るい顔になる娘。明るい言葉は明るい現実を引っ張ってくるよ。

わたし:「○○ちゃんはママにとって・・・」

娘  :「いるだけでいい、宝物。生まれてきてくれてありがとう、でしょ?」

わたし:「ママだけじゃなくて、パパやおばあちゃんやみんなだいすきなんだよ。」

娘  :「知ってるし。」と言いながら、笑顔が戻ってくる。


「ママの自分で決めてるというか、信じてること言葉で聞きたい?」

ぜひと娘が言ってくれたのでこの気持ちを言葉でできる範囲で披露する。

「私と接するひとは皆楽しい。私は周りに光を与えている。みんなが私に優しい。こんな風に思っているの。」

「ママは周りの人にどうされているかな?」

「優しくされているし、ママと話す人もママもいつも楽しそう。」

何か感じ取ってくれたかな?本人の間違った思い込みが、外の世界に反映することはよくある。

貴方は素晴らしい人です。小学3年生まで持っていた自己肯定感は、すり減ってみえても減っていないから。

大丈夫、すぐに気持ちを切り替えられなくても、人生はたっぷりとある。

小学5年生時点のポジションが大人になってもそのままなんてありえないから。


娘の心におまじないが効くことを祈り、現実的にはしっかりと目を開いて学校の様子を伺ってこなくては。

明日は、私の正念場☆