palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

一日の時間は限られている 時間管理の達人になりたい

自分を労わる時間も確保する大切さを知りながら負荷をかける日々

2月から事務の仕事につき毎日は「するべきこと」で
埋められていきます。

事務の仕事→打ち合わせ・塾の送迎・小学校の卒業関連の仕事
→事務の仕事
週末は季節柄子ども関連の行事やどうしても外せない会合が
入り、美術館や公園へ出かける余力がなかった2月でした。

同じ保護者の方々があるときは祖父母、あるときは父親と
ローテーションを組み子どもを送迎しているのを見て、
人手が豊富っていいなとほんのり寂しくもなります。
でもこれは私の選んだ道。
娘が中学生になれば下校時間も遅くなり状況は変わる。
3月を越せば負担は減っていくでしょう。

今の課題は、自分の心身の状態を良い状態でキープして
エネルギーを循環させられるような時間配分を見つける
ことです。

平日は事務の仕事と書く仕事、週末は書く仕事に用事という
生活スタイルに不満はない。
でも自分を労わる時間を取るのに罪悪感を感じるのは、
時間に追われているせい。
もっと時間と程よい関係になりたいのです。

ある程度の睡眠は確保したい。
学校から下校した娘の話を聞いたり、彼女が欲しがる
スキンシップはおろそかにしたくない。
仕事の質は現状維持より常に前回納品以上を目指す。
事務の仕事は、それ以外の仕事も任されているので
こちらもその都度対応して集中してこなす義務がある。
個人事業主として外観には「髪をふりみだした」感は
微塵も感じさせない振る舞い・状態をキープするのは大切。

環境は整っている、けれど生身の私の身体がこの生活に
慣れていく過程で今はゆとりが足りないのが気になる。

紙ひもでキリキリ締めたリサイクル用の雑誌や新聞のように
心がなってしまうと、良いものは書けない。
なるべくフロー状態に到達した境地で取り組むよう
心がけているのです。
だから自分を労わる時間は必要で組み込むべき時間。

締め切りのプレッシャーはだいぶん慣れてきたけれど、
緊張のあとの弛緩が上手くできていないのが現状です。
時間管理の達人というと何だか分刻みでぎっしりと予定を
こなすビジネスパーソンを連想しそうですが(実際は
忙しい方ほど休暇は取っているが、あくまでイメージ)
私の理想は太極拳をする老人のような在り方です。

ゆったりと、いまこのときにありながら無駄のない
ながれるような動きと深い呼吸。

走りながら考えて、その境地をめざし今週も
駆け抜けていきます。
一日の持つ重み、時間の重さを手のひらで
ずっしりと感じるような濃厚な日々は、
少しまだ手に余るけれど「充実」という
単語の似合う季節なのかもしれません。

良い一日を。

春を前に人生の過渡期を生きています

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今後のわたし ブログ・ホームページ・facebookのつかいかた

娘の受験が終わり自身の事務の仕事にも慣れて、
これまで保留にしてきたことを前に、
地熱のような静かな情熱をどんなふうに表していこうか
考え中の毎日です。

どうしよう どうしよう どうしよう。

このブログはスタート地点が自分の結婚生活解消について
悩みや葛藤を日記につづるというものでした。
そこから離婚後の日々、娘の学校生活と書くテーマは
変わっても一貫して「わたしの日常」が書かれています。
だから、これを編集者さんや名前を知る方々に見せるのには
ためらいがありました。
現在読んでくれているのは心許した僅かな友人のみ。
プライヴァシーは保たれています。

けれど書く仕事をしているからには
ライター○○として発信する場を作らねばならないことは
覚悟していました。
たぶん今がその時期です。

「こんなことが知りたい」
「へえ、知らなかった(知ることができて嬉しい)」
「こういうものを書くライターさんね」
「感性が似ているから仕事を頼んでみようかな」

お金を戴いてヒトやモノの気持ちを代弁して発信する、
そんな仕事を始めているのだから日記以外の発信は、
お客様に安心していただくためにも必要です。

3月にホームページ完成と、仕事むけブログを開始。
facebookにはライター○○として、発信していく。

尊敬する社長に「そういう仕事をしているのなら
発信することは大事。それをしないと。」と
助言をいただき、やはりそうだと迷いが抜けました。

冬服を出したりしまったりする落ち着かないこの頃の
天候のように、見慣れた自分と先取りした自分が交互に
心にあらわれて、まだ少しまごまごします。

それでも過渡期を当たり前に受け入れられている
この瞬間にわたしはいます。

人間の脱皮は、本人が知らないうちに
進行するのかもしれない。
わくわくしない訳ではないけれど、「静謐」という
コトバがぴったりくる人生の踊り場に佇んでいます。

どこで誰と仕事をするかの選択はとても大事~自分にとって良い環境に身を置く大切さ

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周りの環境は整った

新しい習慣は21日続けると身につくらしい。
2月から勤めはじめた職場での勤務は18日目。
土日を含むと3週間が経過して、私は新しい
毎日に順応しだしています。

唯一の不満は、さむいこと。
元フレンチレストランのこの建物。
皆がオフィスとして使用する個室エリアは違うけれど、
主だったエリアの床材は石が敷き詰められているため
フロア全体はひんやりと、常に冷気を含んでいます。
でもこのくらいしか不満がないということで、実質
不満はないに等しいのです。

現在していることは、経理事務、留守番、
外国の方がいらしたときの接待同伴など。
仕事のないときは書く仕事させてもらっています。
不思議なこの2足のわらじを、私は楽しんでいます。

このお仕事を受けさせてもらったのには
訳がありました。
それは、

空間がとても気持ちいい気を発していて
(何だかそう感じる)

社長が尊敬できる人柄で放つエネルギーが良く、
かつ奥様と仲良く幸せに生きている方だったから。

ここでいう環境には2種類あります。

物理的環境と人的環境


人は良くも悪くも環境に影響されるものだと
感じます。
だから可能な限り環境にはこだわったほうがいい。
極端なことをいうと、環境が整った場所で自分の
特に好きでもなんでもない仕事をする方が、
環境が整わないなかで好きな仕事をするより
人生全体の幸せ感は高まるし、本当に自分の
「こうしたい」と思う仕事なり状態なりを
手に入れる近道だと思うのです。

もっともっと、と叱咤激励するよりも環境を変えたら解決することもある

もしも耐え難いオフィスや殺傷沙汰の起きる地域で
大部分の時間を過ごし、

何だかいつもイライラしていて怒鳴り散らす人、
はたまた目もあわせない会話も成り立たない人、
何よりも他人を詮索するのが大好きな輩たちと
普段一緒にいて、
人間の創造性は花開くでしょうか?

開きかけた花びらは閉じてしまいそう。
心のエネルギーは慢性的に消耗していくと
生き延びるだけで精一杯になる気がします。

もちろん良いとは言えない環境でも、それをばねに
「なにくそ!」というエネルギーを発していく
やり方もあります。
それはそれで尊く、瞬発力として生かすのにはいい。
けれど長期的に進むには、心地良さから自然発生する
エネルギーが適していると思うのです。

自分にとって良い環境に自分自身を存在させてあげることに
目を向けることが大事だと感じます。

仕事がうまくいかない、
人生が思ったように展開しない、
そんなとき人は
自分の根性が足りないから、
我慢ができないから、
努力不足だから悪いのだと
健気に自分を責めますが、
スムーズに物事が動かないのは
別の理由かもしれません。

心を消耗させる環境から離れる、
心を消耗させる人間関係を手放す、
そして「こうありたい」と望む
環境へ移動する。

こうすることが、どんな自己投資よりも
効果的な気がします。
かちかちのひび割れた土の畑に種を蒔いても
芽がでないように、
自分に合わない場所でいくら奮闘しても効果は
遅々としてでないこともあります。

必死になって何かを足さなければいけない私という
認識はとりあえず脇に置いて、環境を見極める。
そして今の自分を生かせる場所にまず移る。
それから湧いてくる夢や目標に向かって進んでいく。

悪戦苦闘歴の長かった私は、無駄な遠回りをしない、
そんな人が増えるといいなと願います。

成長はやはり一直線でも階段状でもない(わたしの場合)

今回はスムーズに「書く仕事」ができました

何度か書き直しをすると、自分の書く文章に
自信がもてなくなります。

私の場合、「書評」の仕事がそうでした。
そうでしたと過去形なのは、このような段階を
脱したからです。
何をどうしてと具体的には言えないのですが、
大体このぐらいの日数をかけて本を読みこみ、
インスピレーションと分析をもとにした文章を
○○字書きこみ、それをさらに文字数を削り凝縮
させる。
すると、自分も最初の読者である編集長も満足
できるレベルの文が完成するという、目安が
見えてきたのです。

目安の数値化が可能になったのには、たぶんある
程度の仕事量をこなして、精神面も変化を遂げた
ことも作用していると思われます。

とにかく今は書けないと思う段階を通過して
書けることがわかったので、雑念は消えました。
あとは何年も経験を積みよりわかりやすくて
心に響く、読んで気分転換になった、ほぅと
興味をそそられたなど思ってもらえる書評を
書いていくことが目標です。
言葉を媒介に何かしら読者の方にプラスの
働きかけができるようになるまで続けること、
これが大事だと感じています。

迷いと自己不信に翻弄された日々よ、
ありがとう、さようなら。

新しい仕事内容に挑むことに、ためらいがなくなりました

コピーライティングのスキルは限りなく未開発です。
けれど、友人が行う講座の文面などを作り上げる仕事を
引き受けました。
「自分ひとりではできることは限られるから、
どんどん人を巻き込んでいる、そう○○さんも
(私。)」という友人に、巻き込まれることに
しました。

思いを真っ直ぐに定めて、毎日を生きている友人。
昨年よりひとまわり顔が小さくなって肌がつやつや
輝き、若返ったかのようなその面差しを目前に見ていると、
こんなに前向きで瞬間を生きる人と繋がれている自分も、
飛べる準備が整ってきたのだなと実感がわきました。
失敗は恐れないけれど、成功は不得手だった私。
でも成功も失敗も、実は正反対のものではなくて、
どちらとも構えずに良い距離感で付き合える、
そんな根拠のない自信が心に芽生えはじめています。

停滞したり問題が持ち上がるのは、次のレベルへ上がる前の兆候

ついつい、自分の投入した時間やエネルギーに比例して
実力や経験値が上がっていってほしいと、無意識に思って
いました。でもこういう考え方だと階段を上がるように
しか能力は上がっていかないことになります。
生き物の進化は、そんなものじゃないよね。
それに気がついた私は、階段状に物事が進むべき、それが
好ましいのだと思う思考パターンを解き放ちました。

現在の場所から跳躍したら問題が山積みと感じる場所に到達
して、仮に失敗にみえるようなことばかりが続いたとします。
てもそれは退化でも能力の低下でもない。
むしろ能力があがりつつある段階にいる可能性が高い。

自己不信のパターンが騒ぎだすとつい後ろ向きな思考を
選択してしまいますが、悪化しているような状態が実は
グラフにおける停滞期でその後は上昇するという図が、
見えないだけで目の前には展開しているかもしれません。
そのことが、ようやく理解できるようになりました。
言語化がまだできないので乱暴に括りますが、とにかく
成長は右肩上がりのパターンになるとは限らない。
自分の成長パターンに気づいて気持ち良く春を迎える人が
一人でも多くなるといいなと思い、この呟きを書いています。

郵便受けのなかの配達物の束のように、積み重なる日常をきちんと仕分けする

久しぶりの一人だけの時間 書くことに専念する

昨晩から、娘はパパのお家(祖母宅)に
お泊りにいっています。
宿題を済ませ、祖母宅で飼う子犬と二カ月ぶりに
再会するのを待ちきれず玄関で待機していた娘。
元夫が迎えにくると、マンションのドアを
ためらいなくバタンと閉め、私の登山用リュックを
軽々と背負い去っていった。

今日は、夕方までは自由時間。
やっと原稿が書けます。

もう一人でコントをしているようだと、つっこみ
たくなるが、今月もいつのまにか一番神経を使う
原稿の締め切りがやってきました。
猶予はあまりない。

明日は仕事の後に、友人の春から立ち上げる新規講座の
聞き役として打ち合わせが入っている。
土曜日は娘の科学教室の発表と修了式。
日曜日は塾に火曜日は近づいてきた卒業式の
謝恩会について夜の会合がある。

締め切りは月曜日。
理想は明日の原稿提出です。

いつでも郵便受けが一杯になるように物事は重なる

2月最初の週から今週にかけては、仕事に慣れることと、
娘の合格した学校と校区内の受験をしなければ通う予定だった
中学校に入学関連提出書類を持参することなどで時間が取られ、
ほとんど自分の仕事のための時間は持てませんでした。
そして、皆そうだと思うけれど、想定外の物事は連続して起きる。

・受験の疲れがでた娘は学校を休んだ。

・私も体調がすぐれず、娘の塾などの送迎をこなすだけで
 精一杯となってしまった。

・娘の部屋のこたつが温まらなくなり、ホームフレンドの
 大学生のお姉さんには急遽リビングで娘の相手をしてもらう
 ことになり、私は仕事をする場所がなくなった。そこで寝室で
 仕事をしようと思ったら、エアコンがつかない。単4電池がきれて
 リモコンが使えなくなっていた。寒さのなかでの作業は、はかどらない。

・娘が「学校が嫌だ。休みたい」と先週休んだせいもあるのか、のたまう。
 あと1か月を乗りきろう!と諭して学校に登校するよう促し本人は渋々登校。
 その後私の心が塞ぐ。←おかげさまで本人は愚痴を吐き出しケロリと
 しています。つくづく人騒がせ。母は心のエネルギーが、ぐぐっと消耗。

・週末の科学教室発表会原稿を取りに、校区外の小学校へ出向く。


大切なことを、じゃけんにしていた訳ではないが、
物事を自分の計画通りに進行できないときってあります。

小さなことから大きなことまで、物事は毎日に
サンドイッチの具のように挟まっている。
そのどれもは、こぼしてはならない大切なもの。

サンドイッチといえば、ごくたまにモスバーガー
ハンバーガーを食べることがあるのだけれど、
いくら気をつけても具材やソースがはみ出して、
包み紙の底にたまってしまいます。
おもらしをした幼児の丸いおしりのような、その微妙な
重量感に、私はいつまでたっても慣れない。
見えないなにかに、申し訳ない気持ちになる。
食べ方が不器用なのだろうか。
そして、この地方にはまだ進出していない、
本格的なグルメハンバーガー(この呼び名は怪しい)の、
しっかりと具が重なりあい堂々とした厚みを誇る
そんなハンバーガーを目にしたときも、さてどう食するかと、
緊張するんじゃないかなと想像する。

話が飛んでしまいましたが、サンドイッチやハンバーガーの
具をこぼさず食べるよう試みるように、日常の物事を
取りこぼさずに、心をその瞬間に集中させたいです。

身辺を整えたら、また世界とつながっていく

明日打ち合わせをする友人が先日会話をしたときに、
「もう自分は、これまで自分が受け取ったものや得た知識などを
与えていく立場と年齢になったと思う。」
とつぶやいていました。
私も同じことを考えています。

自分には彼のような専門スキルと、その道での
突出したキャリアはない。

でも聞き役と必要なタイミングで質問を投げかけること、
相手の鏡のような役割をすることはできる。

独立して痛感するのは、自分以外の信頼できる人達からの
フィードバックを定期的にもらう必要性。
自由ということと、羅針盤もなしに、やみくもに進むこととは
違う。複眼でものごとを俯瞰して見るには、自分以外の人間の
力を借りることが不可欠です。

だから今年からは同性異性問わず、声がかかったら都合がつくかぎり、
「話の聞き役兼質問係」を、させてもらっています。
私のインタビューの仕事のためにもなるし、相手のためにもなる。
何より応援している友人たちが、自力で言葉を心の中から引きだして、
話すうちに自信を増してくる姿を見られるのが、楽しく嬉しい。

日常はダイレクトメールの束ではない。
切れた電球やトイレットペーパー、乗り遅れた電車や
こんなときに限っての子どもの発熱など、煩雑さや困惑は
ついてまわるけれど、大切な人からの手紙や合格通知も
郵便受けには混じって届いています。

しばらく文章が書けませんでした。
物理的にだけではなく、心理的にも書く気持ちになれなかった。
優れた書き手にひるみ、相手の素晴らしさ(複数)と自分の現在地を
冷静に測定して考えていました。
ただし、そのことで自分を丸ごと否定などはしない。
もし書けなくなったら、まっとうな勤め人になり、
報酬は得られなくても細々と書こうと思っていました。
人生は人の数だけあると、わかっている。
だから、どうなっても、正確には何を自分が選択しても、
私は大丈夫、そう感じてもいました。

今ここにブログを書いていて、忘れそうになっていた
静けさが身体に満ちている。
有難いことに、書くことに関しての静かな集中力は、
いつのまにか私の一部になっている。
水道の蛇口の、いきおいよく流れだそうとする水を押さえていた指を
放すように、制限を外して生きていこう。

心の郵便物の仕分けは完了。
言葉の配達人として、職務に戻ります。