palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

これから自分が進む道~真っ白なスケッチブックを前に、深呼吸

娘の受験が終わり、次は私の番

いま私は、心の中で立ち止まっている。

心にあるその場所は、まだ何も描かれていないスケッチブック
の1ページのようなすっきりとした空間で、白さが目にまぶしく
痛い、雪原のような場所。

私はそこで、少し途方にくれて立っている。
それと同時に鷹のように上空から、スケッチブックに
言葉を入れる瞬間を待っている、もうひとりの自分も
存在することを知っている。

2月から始まった仕事は、就業中に時間が空くときは
ライターの仕事等してもよいという条件がついている。
社長からのとても有難く、寛大なお心遣いが身に沁みる。
二か月分の請求書の処理を終え、海外から視察に来られる
使節団の方たちの資料を揃える作業も完了し、ぽっかりと
時間に隙間ができた今日、少し馴染んできた事務所内で、
私は自分の心と向き合っていた。

本格的にライター業に取り組みだして半年がすぎた。
現在私の書くものは、WEB、紙媒体問わず不特定多数の
読者の方むけのコラム的な読み物中心だ。
でもこれだけでは弱いし、このままでよしとも思わない。
では、どういう方向性で進んでいくのか。
それを、静かに探っている。

堅実に地道に少しずつ前進することは、続行していく。
でもそれと並行して、今とは違う地点からも始める。
在り方、前提を変えたスタートも切ろうと思う。

目に見えないカタチになっていないものを現実に
降ろしてくる作業に、ようやく取りかかりだすと、
このときを待ちわびていたのに、途方にくれる。

娘の進路のことで張りつめていた気持ちがとけて間がない
せいもあるだろう。
なかなか思考がすっきりとまとまらない。
それと、たぶん幾重にも重なった人の温かさに触れて、
また心の何かが切り替わったのもある。
まるで穴からでてきた、冬眠明けの熊のようだ。

いろんな物事や人達との交流をへて、それでも世界は美しいなと
感じている。最近特に、そう確信するようになった。
小さなやりとりにも、優しさが満ちていることに毎日気がつく。
そういう世界で生きていると、怒りや悲しみ、憎しみから生じる
物凄い瞬発力とエネルギーを生む感情とは遠くなる。
人間だから腹が立つことはあるけれど、腹立ちは小石を投げた
川面の波のように浮かんでもすぐに消える。
かっと燃え立つような負のエネルギーは使わなくても、
もっと軽やかなエネルギーで前進できる自分に変わった
のだと思う。
それもあって途方にくれるのではないかと考えている。

途方にくれるだけくれたら、深呼吸して始めよう。

娘の合格

格通知は、環境を変えるためのパスポート

おかげさまで娘は第1志望の中高一貫公立中学校、
第2志望の私立中学校の2校に無事合格しました。

受験を思いたったのは6年生の7月。
5年生の後半からひどくなった、娘へのイジメが
本格的に表面に出た頃でした。

このまま校区内の中学校に進みたくない、
かといって隣の校区の中学にいけば、
「何で、わざわざ校区外に進学したのだろう」と
噂をされるのも耐えられないと、ぽつぽつ語る娘を、
絶対に、絶対に、見殺しにはしないと決意しました。

その後中学校のオープンキャンパスに出かけ、
世界は広いことを娘が実感し受験に興味をしめしたので、
元PTA仲間に受験塾を紹介してもらい特訓コースに
娘を放り込みました。

本人が乗り気で入った塾でも勉強への抵抗は激しく、
塾へ行き渋る娘。
本気で叱る、先生と私。
ぎりぎり12月末から勉強モードに入り、有難いことに
良い結果がでました。

自分の仕事、娘の進路、先の見えなさが苦しかった一か月

この間、私は今後の仕事のうえでプラスになる案件を娘の
受験時期と重なるため辞退しました。
それはとても心惹かれる人物への取材。
これを行うことで得るモノはたくさんあっただろうなと
今でも感じるオファー。
でも娘に伴走するために追い込みの最終週近くからは、
新規の仕事は行わず娘中心でいました。

その一方で今月から昼間の事務などのパートタイムの
仕事を始めました。
海外青年協力隊の方達との茶話会等への出席も
含まれる不思議な内容と、ライター業に励むよう
応援してくださる温かい社長のお人柄、両方に心が
惹かれこちらの仕事は受けました。
この展開は、私が己の道を歩んでいるサインだと感じます。

だいじょうぶ、わたしたちは、良い方向に向かっている。

自分の選択は良い結果につながると感じていました。
でも、それでも
「もしも2校ともご縁がなかったらどうしよう。」
この問いは、今日まで頭から離れませんでした。

校区外の中学校へ行かせないためには、
引っ越さなくてはならない。
けれど私は自分の進みたい方向や
出逢うべき人々と繋がりだしている。
ここで島に移住はできない。
でも娘を傷つける要素をこれ以上
増やすことはしたくない。
試験に絶対はないし、あぁ神様。

受験が、うまくいきますように。
報われてもいいのではないか。
でも、駄目なときだってある。

希望と不安が交互に心にわいてきて、感情が
ついていけない、感情の船酔いのような状態が
続いていました。

自分の上書きをして、新たに踏み出す

結婚生活の末期、我慢や失望を繰り返し体験するうちに、
私は不幸(な考え方をすること)と親しくなっていました。
幸せを感じる瞬間とはごく僅かで、それは虹のようなもの。
こんなまやかしで誤魔化して息をしていました。
希望を砕かれるのは辛いから、最初から良くないことを想定
しておけば失望は最小限ですむ。
その思考パターンが今回はずっと目の前にぶらさがるように
見えていて、伸びすぎた前髪のようにうっとおしかった。
もうこんなじゃまな考えは捨ててしまいたい。
私は、あの頃とは違う。

不幸(と考えたり、感じること)に慣れても、
いつからでも幸福(と感じること)に慣れることはできる。

娘の合格を願う毎日は、私の中のいつのまにかマイナスに
設定されていた心の目盛りを変える毎日でもありました。

良いことのあとに、良いことがある人生を受けいれる。
辛いことのあとにしか幸せがこないとはかぎらない、
そういう展開も悪くはないけれど、もっとのびやかに、
心地良いまま幸せになってもいい。

娘は意地悪な同級生に傷つけられたけれど、
それはもう済んだこと。未来は白紙。
堂々と彼女は幸せになればいい。

いろいろ言葉が浮かびますが、まだまとまりません。

でも、私はみえない何かに勝てた気がします。

ブログを通じて励まし応援してくださった皆さん、
どうもありがとうございます。

野生児のようだった娘は、最終的には塾が好きに!
なりました。何より
「努力は君を裏切らない」という塾のスローガンを
実証できたことで、自信がつき小さいことを気にしなく
なり、ひと回り大きく成長しました。

おかげさまでわたしたちは、人生の喜びや出逢いに
感謝しながら、今ここを生きています。

ちょうど良いあんばいに、差しだす難しさ

四苦八苦して、ようやく書きあがった書評

2つの締め切りから解放されて、関東地方では雪の
ようですが、わたしの心は、台風一過の朝のような、
さっぱりした心持ちを、むかえられています。
たぶん、今日1日は、この爽やかな、ふんわりした
高揚感が続きそうです。

先週から原稿を書くことに、まごまごしていました。
書評については、以下の考えが中心にありました。

・自分が納得のいくものを書きたい。

・難しい課題にも挑戦したい。

・すごく良い作家(私からみて)なので、
 ぜひ、皆さんに紹介したい!


わたしは一直線に、これらを文章にするという
行動にでたのです。

一見悪くはない、動機と行動です。
でも肝心なことが抜けている。
そのことに、今回は気がつきませんでした。

ここには、肝心の読者の方が、その書評をどう読まれるか
という客観性と、読者の方目線の視点が欠けています。

普段は、雑誌の雰囲気と、40代中心の読者層に対応する、
あまり重くなく、さらっと読めて、欲をいえば余韻が残る
適度に端正な文章を、書くように務めていました。

けれど今回は、作者への熱い想いが先走り、気が付くと年表の
ようなものまで持ちだし、何とも中途半端なシロモノと、
硬すぎて論文のようなものを、書いてしまっていたのです。

あれだけ、読者目線で書こうと決めていたのに。

苦い失敗をしましたが、ようやく、編集長も、私も、おそらく
読者の方も、納得できる書評ができあがりました。

熱い情熱を、ぶつけただけの原稿では、プロの原稿とはいえない

読者の方と私を、夫と夫に料理をすすめる妻に
見立てて、ふりかえってみたいと思います。

「これ、私が5時間かけて煮込んだシチューなの。
(だから美味しいでしょ!)」
「…」
夫は、和食の気分だったかもしれません。
それに、調理に5時間かけるのは、料理を作る人の勝手です。

「有機栽培の野菜がたっぷりで、隠し味はシェリー酒で…。」
能書きを述べられても、神妙な顔をして、黙ってスプーンを
口に運んでいる夫は、
(俺はヴァーモントカレーの方が好きなんだよ。)
と思っているかもしれません。

こんなちぐはぐな問答を、危うく誌面でする前に、
がっちりとストップをかけてくださった編集長には
深く感謝しています。

初歩の初歩といった失敗をしましたが、ここで気がつけて
良かったと思います。
わたしは幸運なことに、人を待てる編集長と仕事ができて
いるから、この機会を失敗ではなく、次に生かす貴重な経験に
転化させることができました。

同じ間違いは、繰り返しません。

自分本位な妻から、江戸の人情ものにでてくる小料理屋の
大将や女将のような、

相手の様子をみて、相手の欲するものを、
ちょうど良いころあいで差しだせる、

そんなライターを目指します。

このじたばたから、もし何か拾ってもらえることが
あれば、幸いです。

子どものころの夢は、ものを書くひとになりたい、でした

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」

小学校低学年から中学年、10歳未満のころ好きだったことは仕事につながる気がします

書く仕事を、昨年度から本格的に始めました。

ライターの仕事について感じることなど(私の場合)は、

・仕事の獲得は全て自分次第、シビアです。

・一時間いくら、月給いくらという勤務形態ではなく、
おこなった仕事(この場合記事)につき、いくらという
報酬形式なので、今のところファストフード店の時給より
安い時給で働いていることになります。→ただし、これは
自分の能力が上がるにつれ改善可能。

・どこまで仕上げれば終わりという目安がわかりにくいので、
こだわりだすときりがないし、自分を騙して手を抜こうと思えば
手をぬけるところが、怖い点かなと思います。

・ひょっとしたら、ひょつとしたことが起きるかもという、
夢がある仕事です。(ひょっとしたらは内緒です)

・仕事を通じて、普段会えない方の、結構ディープなことを
聞かせてもらう機会があります。

・書くことだけではなく、人の話を聞くことも仕事のうちなので、
話を聞く姿勢は、普段から真剣になります。そのため、いろいろな
方から「話を聞いてほしい、相談にのってほしい」と声がかかる
ことが多くなります。

・自分が何をしているかは極秘にしていますが、職業名を言うと、
「はぁ?自称?」という反応か、「インテリなのですか!?」といった
何だかトンチンカンな扱いになるので、なるたけ職業名は明かしません。
でも、やむを得ず在宅でパソコンを使った仕事をしていると話すと、
話し相手から不思議に思われ困ることもあります。(特に専業主婦の方)
けれど、そんなときには、相手に自由に想像してもらうようにしています。

・締め切りが終わり、原稿が無事納品されると、たまらなく幸せです。
何回味わっても、この解放感はこたえられない。
その代わり、原稿がうまく進まないと、不安で夜も熟睡できません。
(これは、どんな仕事も同じですね。)

・繊細さと図太さ、ネガティブとポジティブの両方と、楽観性を
持つ人に、特に向いている仕事かなと感じます。

・書いても書いても、広い視野からみると、書くことをあきらめて
やめないかぎり、これで終わりということがない、死ぬまで未完成な
仕事だと感じます。

・言葉で誰かを幸せな気分にしたり、勇気づけたりできる仕事です。

仕事を選んだ理由は、

わたしは、かく仕事が大好きです。
それは、これをするために生まれてきたからです。

こんな感じでしょうか。
書いているうちに、小学生の女子に戻っていました。
たのしかった。

背伸びした課題を自分にあたえること 仕事で鍛えられる有難さ

書きたいことが溢れてオーバーフロー

明治の文豪の本はあっても、ほんの二十年前の本は、
販売システムや効率優先の今、書店では、ほぼみかけない。

今月は須賀敦子についての書評を書いている。
1998年に亡くなったこの作家は、根強いファンが存在し
テレビで特集を組まれたりもしたけれど、もっと知られても
よい作家のひとりに感じる。

だから前から紹介したいと思っていた。
短編を読むと胸がきゅっとなるくらい、その文章に
魅かれているのに、原稿用紙にうまく収まるように
書いていくと、作品の、作家の輪郭がぼやけていく。

それでも何度かの草稿をへて編集長にお見せしたのだが、
中途半端という指摘を受けて返却された。
青白く光る刺身包丁で刺身をつくるように、弱点のみ
薄くそいで並べる、見事な編集者の手さばきに脱帽する。

料理のさじ加減や、隠し味、何でもいいけれど、これで
ピリッと味がきまるものってあると思う。
編集長に校正してもらい複数の目で原稿を確認することは、
誌面で読者の方に料理(原稿)をふるまう前の欠かせない
大切な儀式だ。
編集長が味見をして「よかろう」と仰るものを提供することが
現在の私にとっての全力を尽くすことでもある。

この選書が難しくなることは、わかっていた。
でも私が書評を書きだして密かに実行しているのは、

あえて自分の力量では無理めな作品を紹介することだ。

120パーセントの力をだしたと思っても、あとで読み返すと8割程度の水準なのが新人ライターの私が書くものだ

何度も複数バージョンの文章を入れ替えして、これで決まり!
と思う瞬間が来た原稿を納品するようにしている。
それでも雑誌に刷り上がった過去の記事を読むと、気になる
箇所があることもある。

必死さは読者の方に伝わることがないように、軽やかに
さらりと読んでもらえるようにと願って書いている。
でもその反面、文章の製造過程では、何でもないような一文
でも絞り出していることもよくある。

全力を尽くしても、方向性がずれていたり力が及ばないこと。
これからも、きっとあるだろう。
でも、それが私の望むところ。
仕事においては、身の丈は知る必要はないと思う。
少し無謀でも、かじりついても、等身大の自分より
大きなものに挑戦することで成長が見込めるからだ。

今回2日間時間をいただいたので原稿を練り直すことができる。

気がかりだった娘の中学校受験願書は提出したし、
受験票も届いた。
内履きやブラウスを新調するなどの細々したことは残って
いるけれど、ひとまず、ひとつプレッシャーから解消された。
次は私の番だ。

指摘をされなくなったら成長は止まる。
自分で自分に常に問いかけることを怠っても成長はない。
その辺りの洞察というか観察は、ひとりでは心もとない。
複眼の方がぜったいにうまくいく。

背伸びした課題であっても全て任せてくださる、ライターを
育てる気概を保ち続けている編集長という伴走者が存在する
心強さと緊張感を意識しながら、私はこれからも、ときには
冷や汗をかきながらでも、走りつづけたい。

地面は安定しているけれど地球が自転しているように、人生は
平穏な瞬間はあるけれど、常に動き物事も進んでいく。
娘の受験前でも私自身の課題は常に、目の前に現れる。

さて、どうしようか。
途方にくれているけれど前と違うのは、自分はちゃんと
成し遂げるということをわかっていることだ。