palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

私が離婚できた理由~制限を外して生きる②拝啓 岡村 靖幸 さま

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夫との関係を修復しないと決めた頃、岡村靖幸に出逢う

昨年の5月、夫との結婚生活をもう続けないと決心した頃(詳しくは以下の日記)

大好きだった夫は、もう過去の記憶にしか存在しない - palewhite’s diary

私は人生に疲れた気持ちだった。夫への幻滅、もう男の人は信じないとまで思いつめないと支えられない自分の心。

夫との関係を修復しなくてもいいと自分に許可を出し、夫への幻滅と引き換えに何とも言えない安堵感を手に入れても、心が痛くて何もできない。娘を何とか学校に送り出し帰宅を迎えるまでの時間は、ただ存在だけしていた。呼吸するだけが日課の毎日。

でもしばらく流れに身を委ねそうしていたら、何の責任も持たず若くて未来が見えなかった頃の音楽がふと聞きたくなって、you tubeを検索し始めた。

1980年代後半。私が二十歳だった頃。束の間の一番自由だった季節。

大学三年生、二十一歳からお見合いのお話が持ち込まれ、自分の意志とは別に、人生の幅が急速に狭められ、追いつめられ、決められた枠の中でそれ以来生きていた。だからこそ私の人生が不自由になる前に聴いた音楽にもう一度触れたいと心が求めたのだろう。

懐かしい洋楽を聴き、何となく昔聞いた日本のアーティストでも見てみるかと画面を検索する。偶然スーツを着た中年男性が歌っているyou tubeの映像に辿りつく。彼はモニターにどアップに接近して何やら訴えている。

黒縁メガネにスーツ。

スーツで踊ったり歌ったりは窮屈じゃないのかしら。この大柄な小太り(に見えた)な男性は何者?わからないけれど彼の歌が心に入ってくる。歌詞の内容というよりも、心持ちとでもいおうか、曲に合わせて歌う彼を見ていると、「誠実」という言葉が思い浮かんだ。爽やかな曲調や歌唱力、カリスマ性よりも、一生懸命歌う彼の姿に何だか感動したのだ。

彼の名は岡村靖幸。私が聴いた曲は「愛はおしゃれじゃない」

海中のクラゲかプランクトンのようにふわふわと、日々を消化することが精いっぱいで生きていた私は、毎日飽きもせず岡村靖幸の曲を繰り返し聴いた。そして聴くうちに生活に喜びや楽しさが戻ってきて、彼の曲をBGMに少しずつ必要最低限プラスαの何かをするようになった。

彼の曲を聴きながら車を運転する、気になるDVDを借りる、マスカラをつけ髪を整え麻の洋服を身にまとい、一人でスターバックスでくつろぎのひと時を持つなど。いつの間にかプチ引きこもりから脱出して、どうしても行かなくてはいけない子ども関連の委員の会合にも、満面ではなくても辛さを人には気取られぬくらいの笑顔で出席できる私になっていった。

何故かはわからなくても心地よいと感じることをする、それは未来につながる

その後の私は、岡村靖幸の曲を聴くうちに何だかもう一度男性を信じてみてもいいかもしれないと根拠なく感じ、新しい今までは着たことのない色の洋服を買い、コーチングの募集に応募し、スマホで写真を撮影する楽しさを覚え、パソコンと仲良くなり、ヴォイストレーニングを受け、英語の勉強を再開し、ブログを書き、離婚の準備を行い、今は以前からしてみたかった翻訳のお仕事を某大学でしている。

わらしべ長者のお話。細かいディティールはもう忘れたけれど、主人公が流れにのり物々交換をしていくうちに最後は豊かになった内容だと思う。出会いと感謝との連鎖の物語。

このお話を私は良く思い出す。

岡村靖幸の音楽にCDやDVDで触れ、私は軽やかな気持ちを取り戻しただけではなく、もう一度男性を信じてみようという気持ちも持つことができた。そこから流れに乗り様々な人との新しい出逢いがあり、感謝や共感や尊敬の気持ちを交換しながら、今の場所に辿りついている。最初岡村靖幸you tube画像を見たときには、こんな人生の展開が起きるなんて予想もつかなかった。私がしたことは、ひまわりが太陽の方へ向いて咲くように、自分にとって心地よい直感がYESと指し示す方向へ、無心に進んでいったこと。そうしたら今いる場所に辿りつけた。

直感に従って行動する勇気を持つと、もれなく自分の好きな未来がついてきます♪

自分が体験したことだからこれは本当と言える。

今年は岡村靖幸のDATE(ライブのことをファンはこう称するらしい)に行く。そして伝えたい。

 

拝啓 岡村 靖幸 さま

 

貴方の曲を聴き、人生が上向きに変わった人間がここに一人います。

本当にどうもありがとうございます。

貴方の歌声が大好きです。

 

            感謝を込めて  palewhite