palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

大好きだった夫は、もう過去の記憶にしか存在しない

トピック「2014年のお別れ」について
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いよいよ離婚へのカウントダウン

来週の離婚に向けて

離婚協議書、最後の修正をしたら完成。
マンションの登記簿謄本、戸籍謄本、印鑑証明、離婚届け、全てはぼ準備できた。

準備できていないのは、私達の気持ち、かな。

何度もかかる電話。同じような繰り返しの言葉。
初めは冷静に、半ば激しく、最後は哀願し拗ねた口調になるパターン。

これに付き合うのもあと数日。
「辛抱」という言葉をこの気持ちに当て嵌めるのは、夫と自分自身に対して失礼だろう。
けれど、とうとう、あまりの事実とは違う邪推をかけられるのに黙ってはおられず、
どうしても許せなかったことを、はっきりと詳しく説明した。
そのうえで、

「2014年で、あなたとの縁を切りたいのだ。」

と心を決めて言葉にした。

仕事をしないでといい、仕事をしない私を責める夫

子どもが生まれる前も、生まれた後の短期間も、私は仕事をしていた。
子どもが小学生になる時には、学童保育に子どもを預けて働こうと決めていた。
でも夫に家にいてほしいと頼まれ、夫婦で話し合った結果、学童保育に娘を預ける
ことを止め私は専業主婦となった。これは二人で決めた約束事のはずだった。

今年の春、夫は彼の両親と話す機会があり、その時に仕事をしていない私を、
(正確には2013年から約1年間、2014年1月まで短時間の仕事をしていた)
「しっかりしていない、役立たず」と
仕事をしている弟のお嫁さんと比較して、非難をしていた。
どうしてそれが私の耳に入ったかというと、夫が裁くような口調で私にそのことを伝えたから。

ここ3年間ほど毎年春になると、ある派遣会社さんから提示されていた英語を生かした求人。
夫に仕事のオファーがきたことを報告すると、彼は眉をよせて表情を曇らせ、
「うーん・・・」と黙り込み、できれば求人には応募しないで欲しいといつも繰り返した。
今考えると奇妙だけれど、
「○○ちゃんのために××しないでくれ・・・」と言われると、
私は反射的に自分が悪いことを望んでいるような罪深い気持ちになり、
自分の希望をいつもそっと封印していた。
そうしてようやく娘が小学4年生になる前に、乏しい選択肢の中から少しでも意に沿う求人を見つけ、
ほんの短時間だけ、子どもが帰宅する時間には、必ず「おかえり」と言える仕事についていた。

でもそんな私は、夫、夫の両親からすると
「しっかりしていない、役立たず」だったのだ。

夫は自分が学童に入れないでくれと言ったことを両親には伝えず、親子で私を悪者に仕立て上げていた。

妻が技能を生かそうとすると、つぶしてくる夫

もうひとつ忘れられない出来事は、私が持っている資格を生かした仕事の求人があり喜んでいると、
「何故、スーパーのレジで満足できないのだ。」
と、言葉通り烈火のごとく夫が怒り狂ったことだ。

何が悪いのか、最初はわからなかった。
技能を生かしてより良い給料をいただけて、皆さんに喜ばれ、私が嬉しいお仕事をすることを、
どうしてあなたは喜んでくれないの?

私は、夫が優越感を感じるために、「できない嫁」でいることは、もう続けられません。
それが、私にとってどれだけ人間としての尊厳を冒されたと感じたか、あなたにわかるかしら?
本当に、あなた方が仰る「どうしようもない人間」なら、現在私は仕事をしていないと思いますが。

いくら娘のためでも、こういう遣り口をする人間を、私は夫とは呼べないし、同じチームとは思えないし、
愛し続けることは、もうできない。

人には「取り返しのつかない言葉」があるとわかっている人種と、わかっていない人種に分けられるが、
夫とその両親は、取り返しのつかない言葉があるということを知らずに生きてきた人々だ。

かっての彼は女性の味方だった

私達の同期の女性が夫と同じ支店勤務だった頃、優秀な成績の彼女をやっかみ、
夫以外の全男性社員が彼女の成績が下がるように企てようとしていた。
その時に夫は同期の彼女を庇った。
彼だけが庇い、男性社員からは「裏切り者」扱いをされ、
しばらくは肩身が狭かったらしい。

そんな夫を私は誇りに思ったし、私は彼が大好きだった。

夫が単身赴任中、私が初めてのカルチャーセンターでインテリアの講座を持つこととなり
第1回目のレッスンが終わった時、「講座はどうだった、お疲れ様」とメールをくれた夫。
それを読み終え、顔を上げると周りの景色が一段と光り輝いて見えたことを覚えている。
その後夫は転職し地元での仕事を開始したが、今度は私が彼を支える番とサポートに
まわる決意をしたことも覚えている。

そんな夫が、今では妻をけなす保守的で不機嫌な男性に変貌していたことを認めるのが辛かった。
最初は、夫の脳の血管が切れたのではないかと本気で疑った。他にも憑依されている?・・など煩い。

けれど、夫は彼の強い希望で地元に転職し「親孝行な息子」に戻った途端、少しずつ変わっていたのだ。
もしかしたら、保守的で偏屈な彼が、彼本来の姿なのかもしれない。

「働く女性は素敵だと思う」結婚を決意した夫がかつて発した言葉

私が会社の同期だった夫と結婚したのは、この一言があったから。
他はなにひとつ気にかけなかった。これだけが決め手だった。
その頃私の周りにいる男性でそんなことを言う人は皆無だったので、その一言で心が掴まれた。

このポイントさえ外さずにいてくれれば、私たちは今年のクリスマスも一緒に祝えただろう。
今年だけじゃなくて、もしかするとずっと。
離婚にいたるには、いくつもの積み重ねがあるが、夫の失言は、彼が考える想像を超えた致命傷を
私に与えた。

さようなら、夫、かつて大好きだった人

私は働くことが好き。自分で選択して生きることが好き。
そのために努力もできる自分を、自分自身気に入っている。

次に就いてみたい仕事、まとめたい商談、面接での対応、など仕事関係あれこれ。
行ってみたい場所、インテリアのインスピレーション、サイドボードの花瓶のフリージアの香り。
私を刺激してくれる、たくさんのモノたち。そして忘れてはならないのは触発される人々の存在。

配偶者であろうと、相手を抑え付ける人の描く円周の中で人生を終わらせる気はない。
そう覚悟を決めてから、全ては動き出した。

あなたは不本意かもしれないけれど、気が付いているでしょう、今の私が本当の私であることに。
私はあなたとの関係から卒業し、この自分で作り出した現実で生き始めているのです。
だから、来週離婚します。

大好きだった彼の思い出は、綺麗なまま保存したい。
できるかな、そう願う。こればかりは、離婚が終わらないとわからない。

さようなら、かつて大好きだった人。
今は偶然隣り合わせた乗客よりも遠い、他人の、私の夫。