palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

原稿料をめぐる水面下での戦い 新規紙媒体との打ち合わせ

会社によって異なる、紙媒体の原稿料単価

偶然その会社は、大学卒業後に勤務した会社で担当
していたクライアントが入居していたビルにあった。

あの頃は社有車でおずおずと「士業」の先生の事務所に
お邪魔していたが、今日は自分の車でさして動揺もせず
乗りつけている。
あの頃と今、違うのは靴のヒールの高さと私の自己肯定感。

原稿を書かせてもらうことになるかもしれない雑誌を
発行する会社の皆さまとの顔合わせは、まずまずだった。

問題となったのは原稿料。
これは今回の対話では明確にならなかった。

私の知る範囲では、WEB媒体では原稿料は一文字いくらと換算
されるが、紙媒体では原稿料はページ○○円と表されることが
多いように思う。
今日出向いた会社では、紙媒体でも一文字で換算されることが
多いと、編集担当者の方はおっしゃった。
そこに社長からの料金設定を早く提示してほしいとの言葉が
混声合唱団のコーラスのように何度も加わる。

そんなことは、安易に口にはできません。

社長が私の目の前で、何やら他の会社の雑誌のページ単価を
電話をかけて確認されている。

「取材、交通費は原稿料に込みで○○円だそうだ。」
私と他の社員の方に、新大陸発見!といった風に宣言される。
「安い!」
ナイフで切り落とすように編集担当者の方がその言葉を
さえぎる。
ライターの方の引き受けかたによっては、このケースのように
取材して交通費込みで、破格の値段で原稿を書かれる場合も
あるらしい。

その方には、お考えがあってのことだろうが、
私はそれを真似はしない。

ライターは雑誌に原稿を掲載してもらうが、下請けの
内職仕事をしているわけではない。
雑誌の方向性と想定読者層に合う企画をたて取材し、その後
伝えるモノを言語化する(コピーライティング含む)のは、
ただキーボードで入力する作業とはわけが違うのだ。

社長は原稿料に不慣れで困惑されている模様。
社員のどなたもはっきりと金額をおっしゃらないので
私は、私を守るために口を開く。

交渉ごとは謙虚に、けれど言うべきことは堂々と申させていただくのが私流

「企画・取材をしてレイアウトなど原稿全てを行う場合と、
指示されて指定の文字数で原稿のみ書く場合とでは当然
違ってきますし、自分の場合は、まずそのページなり企画の
予算をお聞きして、双方すりあわせて原稿料は決めるように
しています。ですから、いちがいにお幾らとは申せません。」

斜め前の別の編集担当者の方が小刻みに頷かれる。
先方の手の内が明かされないのに、こちらから金額を提示する
ことは避けるようにしている。
あれも、これも込みで…と発言して後悔するのは自分だ。
波長が合わないときは、いつでも交渉から降りられる、
そんな余裕をもっていどむべし。

私はそう考えている。

さあ、お互いにお腹の探り合いをしているけれど、
どう動きましょうか。

企画書を提出してみることにする。
トライアルとして何か書かせていただき、双方OKと
なったらお付き合いを願いたいとも、あわせてご提案を
させていただいた。

ライターには交渉力や営業力が不可欠

文章を書くのがライターの仕事。でも、それだけじゃない。
その場の空気を読むこと、その会社の体勢はワンマンなのか
民主的なのか、ライターをどのように扱われているのか、
決定権はどなたがもたれているのか。
それらを感知する能力が、この業界で生き残るには大切
ではないかなと思う。

そして当たり前だけれど、自分自身を売り込む交渉力や
営業力は「起承転結」にそって文章を書くことと同じくらい
必要なスキルだと感じる。

戦闘服(スーツ)を身に纏い、会社の社長以下、主要な
メンバーの社員の方達と私一人で会議室に対座すると、
どうも好戦的になってしまう。

これから末永くおつきあいをする方たちになるはず。
良い雑誌を作りたいという気持ちは共通するのだから、
緊迫感は捨てて、丹田に力を入れて他は楽にしてのぞもう。
無表情な女性編集担当者の方の説明に心を集中させて、
この方との対話を楽しむ。

少し雰囲気がほぐれたところで、顔合わせは終了となった。
皆さまを集結させてくださった社長の意気込みに素直に
感謝して、できるだけ雑誌にそった企画書を提出することを
心に誓う。
この会社の年末の休日は、26日から始まる。
企画書作成の猶予は明日1日ある。
2回目のWEB原稿は、企画書も原稿も全て採用となった。
この成功パターンを応用して、とにかくやってみよう。

値踏みされる自分に慣れること。
相手の期待以上の結果をだすこと。
それがフリーで生きるということだ。

ちょっと、硬派な自分に酔っている自覚はある。
それはたぶん「プラダを着た悪魔」のDVDを景気づけに見て
出掛けたからだ。
NYで働く女性たちの出勤シーン。
鋭い凶器のような尖ったつま先のかかとの高いハイヒールを
履いて出勤する彼女たちの迫力を、自分とは違う世界のことと
「映像」としてとらえていた。

たぶん今の私は、あの彼女たちのように何かをこらえた顎を
している。歯をくいしばってはいないけれど、口はぽかんと
開けられることはない。
人眼のないところで唇は、きっと閉じられ口角を上げて
結ばれている。

ここはNYではないけれど、社会復帰をしてきている自分が
実感できる。
「柔と剛」それが私のテーマ。