palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

撮る、撮られる、写真術

今週のお題「いま学んでみたいこと」
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自撮りも、普通に写真を撮る、撮られることも苦手です

もし私が自営業にならなかったら、自撮りは一生しなかったと思う。

自撮り、セルフィーとは何のためにするんだろう。

何を表しているのかな。


自分の思い描いた自分の姿を演出して、自ら撮影することで満足感など得られる?

歯磨きみたいに毎日の日課?

セルフプロデュースのための大切な道具のひとつ?

Facebookをしない人達ばかりが友人の私には、

その奥深い世界はまだ理解できません。



子どもの運動会のビデオは撮らない(心に焼き付ける。)

旅行先での記念写真もほとんど撮らない(心に刻む。)



写真は残るし素敵だと感じるくせに、撮るのを億劫がる無精者。


そんな私だけれど、仕事をしていくうえで、

「怪しいものではありません、こんな人間です!」

と自己開示するために、写真を撮る・撮られる技術が必要となってきた。


有名な講師の方々は、満面の笑みを一人一人の生徒のスマホに何度も再現して撮られてくださる。

その口角は横から見ていると、三日月のように柔らかくも鋭いカーブを描いている。

その笑顔、スマイルにプロ意識を感じながら、決めの笑顔がうまく決まらない自分を

まだまだだなと反省する。


たぶん、撮ることも、撮られることもある種の「覚悟」がいるのだと思う。

恥をさらしてもいい覚悟。逆に気どっているだの、批判を甘んじて受ける覚悟。

大丈夫、皆他人のことになど興味がないと、自意識過剰な自分を捨てて、

「これが私です。」と世の中に道路に横たわるように身を委ねる覚悟。

大袈裟?そのくらい自分にはスゴイこと。


情報はまだ新しいモノなので、その扱いは壊れ物注意にした方がよくない?と

赤信号の車の往来の激しい道路を、笑いながら手をつないで渡る女子高生を見るように、

撮ること、撮られることを安全な歩道側から少しはらはらして眺めていた。


でも参加すると決めたからには、安全な道路の渡り方を学ばなくちゃね。

横たわるのは、映画のワンシーンでみた情景が再現されるときだけにして。

臆病な野生動物みたいに突っ込んでいかないように、自分をなだめて上手く操縦して。


忍術みたいに、これは心理術だ。

テクニックは後からついてくる。


心構えは・・・バンジージャンプ2秒前。