palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

ヴォイストレーニング③先生の師に会いに行く

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先生の師に会いにいく

現在私は、現役ナレーター兼音声言語指導者である先生のもとでヴォイストレーニングの
レッスンを受けている。
先生の恩師I先生が東京からいらして土曜日に特別講座をなさると聞き、講座の内容も知らずに
「行きます。」
と即答していた。前から会ってみたいと思っていた方と会える絶好の機会。

自由に生きる先生の恩師のI先生その方は、1970年より舞台演出を手がけ並行して舞台表現者
の音声研究を行い、幅広いジャンルにわたり音声・言語指導を重ねられている方。
その立派な経歴も素晴らしいが、私がお会いしたいと思っていたのは、I先生が「宇宙」について
語られると先生から聞いていたからだった。

私が素晴らしいと思うシニア世代の方は、何故か本業とは無縁なはずの宇宙についてのことを
会話に上らせることが多い。I先生も宇宙について語られると聞き、この方は本物だと直観的に
感じ、そういう訳で私は「美しい声で歌ってみよう!」という特別講座に参加した。

やはり先生の恩師の方

講座の受講者は合唱サークルに所属するシニア世代の女性や演劇関係者が主で、私は門外漢。
2曲ほど歌の指導をしてもらい、最後は不思議と皆さんと気持ちよく高音域も出せるようになり
講座は終わったが、個人的には歌の指導より合間に挟まれるI先生の主張、メッセージを聞くのが
とても面白かったのでここに記しておく。

以下今回の講座で学んだことまとめ

・言葉ができる前から歌があり、音楽をするということは本能。歌を歌いたいということは、
 おしっこをしたいというような生理的なものである。

・声を出して歌う(たとえばカラオケなど)は歌うことで発散するという意識が入るので、この場合
 歌うには該当しない。鼻歌のような、考えないで声がでる場合を歌うとみなす。

・普通の生活で当たり前じゃない感覚を持てるか⇒持てるようになるために、そのためにも歌を歌う。

・音楽を分析・解釈するようになったのは19世紀から。それまではそんなことはなかった。
 意味づけをするのではなく、意味から離れ解放されることが本来の音楽。

・感性は自分でジャッジする。

・良い音は(音楽)は共有できる、それには自分の気持ちや欲望だけで一生懸命になっていないこと。
 共有し、共生することの大切さ⇒自分に何ができるか。

・デジタルで話す、アナログで歌う(話す)という違い。男性でアナログで話す人はめったにいない。

・良くなりたい向上心は、あるところまでくると駄目になる、スパーンと落ちる。

現在の日本人の声の高さと社会の変化の関係

合唱サークルの方達も満足そうに歌声を響かせる講座の終盤で、I先生は眼だけを見つめると40代の
その表情を一瞬引き締め、声の変遷からわかる日本の社会の変化について語りだされた。
ここ何十年と日本人の声を聴き分析していると近年特に女性の声が低くなっている、らしい。
それは女性のビジネス面における社会進出と大いに関係している。男性社会に女性が互角に参入
するために自然と声も低めになるということがひとつ。
もうひとつは、男性が女性の高い声を好まない、容認しない社会になってきているということだった。
I先生の説明が感覚的にわかる気がした。

1990年代初頭まで、「黄色い声」をあげる女性を社会は父性的おおらかさで包んでいたと思う。
その頃企業では、お嫁さん候補として女性社員が存在し、結婚退職や、男性が一家の稼ぎ手となり
妻は専業主婦となるという選択肢が肯定的に存在していた。女性の柔らかさや女性らしさを社会も
今より許容していたと思う。
2000年代に入り、女性の社会進出は進み共働きは当たり前となり、イクメンも登場したけれども、
社会からは「黄色い声」を微笑ましく見守る父性的な感覚は減っていると思う。もう一家の大黒柱に
男性であるというだけでなれる時代ではなくなった。既得利権をどう分配するか世代間、男女間で
争うことも珍しくない時代。もしこの社会に適応して生き延びようと考えるなら、普通の女性が
高い声をあげ女性らしさを表現するのはもはや非常識なのかもしれない。

説明を聞いているうちに、自分の心の葛藤がむくりと起き上がるように湧き上がり、I先生に講座が
終わった後に質問をぶつけてしまった。きっとこの方なら何かヒントをくださるはずと感じて。

新しい声を見つける

「I先生、私は気持ちのままにのびのびと話す時の自分の声と、ビジネスで使う声が違うんですけれど、
その違和感が気になるんです。のびのびした感情から発する声で生きていきたいけれど、ビジネスで発
する声やテンポの方が生活には合っていると思うと迷いが出て・・・・。」
ものすごく抽象的で感覚的な訴えを、先生はじっと聞き、繰り返し頷きある提案をしてくださった。

「座って声を出しながら1,2,3、・・・・10と書いてみなさい。何度も何度も1から10を
ワンセットで。それをしばらくしてみて。その後録音して聞いたら自分が同じ声を出していることに
気がつくと思う。次に1,2,3、・・・10のワンセットを一回ずつ声の高さを変えてカウントして
みて。書く文字も変わるからやってみてください。」

「はい、わかりました・・・。それをするとどうなるんですか?」
「三か月続けると新しい声が見つけられるから。」
第三の男というタイトルの映画があったようなと連想しながらI先生と会話を続ける。
「第三の声が見つかるんですか?」
「いや、見つからないかもしれない。一か月したら連絡してね。」
I先生は悪戯っ子のような表情でにやにやしながら、その澄んだ瞳で不思議な宿題を出してくださった。

逃げるチカラ

講座の終盤に女性の声が低くなり、社会が女性の高い声に不快感を見せるようになったと仰った時に、
受講生全員に向けて、オフィシャルで自分をすり減らす場所や行為から逃げるチカラに触れられた。
自分を守ること、声や音に関して自分の声をよく聞いて生きていくこと。
I生は、「歌うこと」「より良く本能に従い生きること」を熱心に唱えて講座を締めくくられた。

「デジタルって・・・何がなんだかわかりません。」と最前列に座る男性は正直にあやふやな気持ちを
語られ、皆さんも温かくその言葉に共感して笑われていた節も感じられる。
けれど私はI先生から発信されるメッセージを感覚的にだけれど受け止め言葉は胸に入ってきていた。

三か月後、果たして何がどう変わるのか?謎かけは嫌いじゃない。
この不思議な宿題に、やっぱり先生の恩師だわと自分の推測が当たった嬉しさを感じながら帰宅する。
軽やかな気分。お会いできて良かったと余韻に浸りながらメールボックスを開けると、大学からの
通知があった。この薄さ、嫌な予感と封を切ると不採用の文字が目に入る。

わーん、ご縁がなくて残念。このタイミングですか、このタイミングなんですね。
しょうがない。よし次に行きましょう☆