palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

私が英語を勉強する訳

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今更ながら、どうして英語にこだわるのか

「これからは英語の時代」という言葉を聞いたのは、私が高校生の頃。
日本ではたぶん、このフレーズは半永久的に有効だ。

留学したい、外国人の友達を作りたい、英語がビジネススキルとして必要だからマスターしたい等、
英語を勉強して、うまく話せるようになりたいと思う人は多いだろう。
かくいう私も、娘と私の生活を成り立たせるために、自分の望む仕事に就くために、そこそこの英語力を
磨いて仕事で使えるようにしたいと、そう英語がうまくなりたいと思っている。
この動機こそが、自分自身を再びの英語学習に駆りたたせていると信じこんでいた、つい最近まで。

でも、英語に心惹かれるのはそんな動機からではないと閃きが降りてきた。

英語を話し、聞き、書く。英語で表現する私

最近気が付いたけれど、本番テストで時間切れとなったTOEICの勉強や英語の勉強には意味があった。
忘れかけていた英語表現や単語に久しぶりに出逢い、私は懐かしい英語の世界と手を繋ぎだした。
映画のDVDを英文字幕、英文で見ながら、英語を日本語に変換せずに主人公の気持ちに感情移入ができる。
主人公のセリフを、そのセリフが放たれた直後に素早く呟いてみる。うん、自然。
英語で書かれた小説も、わからない単語は飛ばしながらストーリーに感情移入して読み進んでいける。

何故かは判らないけれど、私は英語を日本語にほとんど変換せずに、そのままの単語なり、構文なりを
すとんと胸に落としている、受け入れている。そんな自分の状態に気が付いた。
どうやら私は、英語での物の捉え方、思考形式を無意識におこなえる自分に再会できたようだ。

失くしたと思っていた、魂のピースを一片、また発掘できた。

一旦思いだすと、心から溢れる言葉を英語で表したくなる瞬間が、一日に何度も訪れることとなる。
何というか、そんな瞬間の私の心は英語仕様の自分となっていて、その感覚は日本語への置き換えが難しい。
興味深いことに、英語仕様の私は日本語仕様の私よりも、より明晰に自信に満ちて発言をするキャラクター。
自分の欲望に忠実で正直な彼女は、日本語では到底言えない言葉を躊躇なく放てる。
私がそうしたいのだから、好きなように言っていいでしょ。
当然なことを主張する彼女は腰に手をあて、幼女のように唇をとがらせ我儘を貫き通す。そんなイメージ。
文章を書くときには彼女の気儘さはさすがに控えめとなるが、私はこう思う、それは何々だからという主張が、
文章全体にテーマとして地下水のように流れている、骨太な真っ赤な口紅が似合う女性。

それに対して、日本語仕様の私は、ゆっくりと紡がれる言葉が似合う。
主張は控えめな提案に姿を変えたり、譲歩が混じったり、英語仕様の彼女と比べると一見弱くみえる。
でも柳のように揺られなびきながらも、しなやかに、言葉にならない言葉、沈黙を上手に使うことができる人。
そんなイメージ。

英語仕様、日本語仕様、私の中の二つのイメージを融合させて、英語で表現する。
私はその過程でまた新しい私にきっと出逢える。
その日はそれ程遠くはないとわかっている。

異国のカフェで通りを眺めながら休憩をする。耳に届く声は英語、フランス語、ドイツ語に、中国語少々。
もうすぐ待ち合わせをした友が到着する頃。互いの第一声は英語での挨拶。
その後の抱擁はフランス風に、会話は英語で流れていくが、私の気持ちは大和撫子