palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

移動中の自由

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私が旅が好きな訳

旅が好きな方だと思う。計画を立てるだけでわくわくしてくる。
目的地までの移動はひとりで、現地に到着したらその地の友人と合流するのが特に好き。
見知らぬ土地に行く心細さと、友人が待つ安心感が混ざり合い味わい深いものになるから。

旅先へと到着するまでの時間、ヒトは乗り物の中で何を感じるのだろう。

「隣に男性(女性)が座ったら少し緊張するから嫌だ・・・」
「どうしてビールとつまみを必ず買ってしまうんだろう」
「○○に会うの楽しみ」
「この時間を有効に使うぞ」
「眠い・・・眠い・・・」

私の場合はたまらなく「自由」を感じる。
移動中の私は普段属するコミュニティから離れ、○○ちゃんのお母さんという役割からも離れ、
すべての属性から離れてただその場所にいる。

過去も、未来もなく、あるのは今この瞬間だけ。
移動中、その時間は、私をしがらみから解放してくれる。
ひょっとしたらこの感覚が、私が旅を好きと思う一番の理由かもしれない。

旅の憂鬱

移動中に様々な役割を脱ぎ捨てた私は、本来の私に戻り懐かしい友と再会する。
珍しい街並みと、そこで人生を切り開く友人の姿を眩しく見ながら、変わらない
温かい心に感動する。語り合うその瞬間、瞬間が充実感の連続だ。

互いの人生にエールをおくり満たされた気持ち。
それが家路をたどるにつれて、自由の反対の気持ちへ傾く。
どうしても沈んでいく気持ち。

コミュニティに属し、母親の役割を身に着け、日常生活に適応する作業。
それが自分にとって窮屈で味気ない生活であっても「不自由」に、
規則には従わなければならないと決めつけていた。
だから帰りの移動中に私は、「不自由」を噛みしめていた。

「自由」を選択する

でも、最近発見した。

規則は変えられる、特に自分で作り上げた自分にしか見えない心の規則は。
好きに変えても大丈夫。
この発見が私の旅を変えた。

私は「自由であること」を選択したので、
帰路につく際の憂鬱はもう起こらない。
日常生活は私の表現の場となり、私は心がYESといった役割を、
主体的に生きている。

日常も旅の延長になった。
この変化がどこにたどり着くのかはまだわからない。
でも行き先のわからない、見知らぬ友に逢う旅は大歓迎。