palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

表現の先にあるもの それを知りたい 

f:id:palewhite:20140821085803j:plainトピック「書き続ける」について

心の旅

7月末からブログぶを書き始めた。
今は8月だからまだ書き始めて一か月未満。
書いてみて思う。私はどこへ向かっているのだろう。

表現したい

ヒトには食欲や、睡眠欲など欲求があるけれど、
自然な欲求として表現欲もあると思う。
自分を何らかの形で表現したい気持ち。

ファッション、仕事、車、結婚相手
好きな食べ物、スポーツ、趣味・・
ヒトは様々なカタチで自分を表現している。
正確には自分の一部をこの世の中に発信している。

人目にたたない服装をして自分の気配を消し、
一見表現をしていないように見えるヒトも、
表現を拒否するという表現をしている。

表現の連続がヒトの一生。

ブログを書くということ

ブログは内側を、外へぐるりと露出させる表現方法だと思う。
それがグルメ記事であろうと旅行記であろうと、個人のフィルターを
通して発信されるからにはただの情報の羅列ではなく、そのヒト固有の
痕跡が浜辺の足跡のように必ず残される。
読む側は、記事の内容だけでなく、その行間から発する気配を読み取っている。

ブログの変遷と筆者の変容

ブログを読むとき、心に響いたブログは最初にさかのぼって記事を読み返す。
書き続けられているブログを読むと、筆者の表すものは変化していることがよくある。
最初の記事を書いた頃の人物と、現在の筆者が同一人物であることの不思議を感じることもある。

照れを隠すために、おちゃらけたテンションの文章が並んでいたブログが、ある時から
しんと静謐にあふれた文章がつらなるようになり筆者の慈愛を感じるブログへ進化していたり。
悲観的な心情が吐露されたブログが、筆者が問題を乗り越えて昔の困っていた頃の自分のような
他者を助けることへ目的を変更したブログに変わっていたり。

ブログの変遷と筆者の変容に、私の心は動かされる。

どこに行くのかわからないトキメキ

ブログを書くのは、書き続けることで自分にもおそらくおきる変容がみたいから。
書き続けることでおきる、思考の流れの変化を体験したい。

私にとってブログを書くということは、流れの速い川を川下りするような作業。
この方向に行きたいと考えても流れが存在するので、オールさばきだけでは進路は
決まらない。岩にぶつかるかもしれないし、ボートが転覆するかもしれない。
流れに乗り流されて思いがけない地点に到着するかもしれない。

でもいつか、必ず穏やかな水面の到着点にたどり着く。

ブログを書き続けることで、その過程を楽しんでみようと思う。
穏やかな水面に到着した私はどう変容しているだろう。
結末のわからない読み物は、いつだってヒトをワクワクさせる。