palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

それでも書き続けるということ

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うまい文章を書ける人間が多くいるなかでライターとして書いていくこと

私には愛読しているブログがいくつかあります。
それらを読んでいて思うのは、

いいことが書いてあるなぁ、うまいなぁ、
ということなのです。

文章を書く仕事をされているわけではないブロガーの
皆さんに素直に感嘆してしまう、そのくらい凄い。

本人の魅力や人生観が行間からほとばしるそれらの
ブログは、猫背になっている自分に気がつき姿勢を
正すように、読むたびに自分の生き方のチェック材料
としても活用させてもらっています。

私は昨年度からライターの仕事を始めました。
何事もそうであるように、思い描いている段階と実際
その仕事を始めて課題が見えてくる段階には大きな
違いがあります。

よくたとえられるけれど、何かをなしていくことは
登山に似ていると私も感じています。

登りだすと先が遥かに遠いことに気がつく。
自分が到達できるのだろうかと危ぶむ気持ちが生まれる。
完璧な装備で軽々と先を行く人達と自分を比べ落ち込む。
それでも道端の小さな花や、山からの生命力あふれる匂い
行きかう人との会話に励まされ前に進み続ける。

現在の私は、ライターとしてようやくスタート地点を経過したところ。
登り始めて自分の無謀さと無鉄砲さに、ときに苦笑いしながら
ときには口笛を吹きたい気分で、もくもくと進んでいます。

ライターだから最高の文章を書くわけではない。
もっといえば、書くことに限らず表現する世界(音楽・映画
小説など)は一昔前と比べ、プロと素人の垣根が低くなって
きていてプロだからうまい、素人だからへたなど区別できなく
なってきていると思うのです。
誰もが発信できて誰もが自分メディアをつくれる時代に
私たちは生きています。
こういう時代にライターとして生きていくのはどういう意味が
あるのかを、模索しながら書いています。

物語を引き出すお手伝いをするときに生まれる心の交流が好きです

言葉が生まれたのはコミュニケーションのため。
誰もがその内側に物語をもっていて、物語は
語られることを静かに待ち続けている。

それを言葉で表現できるヒトもいるけれど、自分が表現する
ことを忘れかけたヒトや言葉に変換することが不得手なヒトもいます。
そして人間に生み出されたプロダクトたちは、
当たり前だけれど言葉を発しません。

そんな個人や会社、モノの本質を引きだし言葉にして届ける
メッセンジャーとしての役割がライターにはある、そう私は
考え始めています。

そのときはベストを尽くした!と感じても、後から読み返して
みると思わず校正したくなる文章が掲載されていると気がつく
こともあります。そんなときはただ恥ずかしい…。
でも、それでも書き続けます。

言葉の郵便配達人はいないと困るから。
そして想いや感情広い意味での愛を循環させる郵便配達人は、
世界中で常に求人募集がされているのです。

コトバを通じてつながりあう

私は物語が好きです。
自分の内からでるものも、他の場所から生まれるものも
どちらも尊くて素敵だと思います。

コトバでは伝えきれない想いがあることも知っています。
ただ寄り添うことや抱きしめること、そっと見守ること、
いろんなカタチで他者とはつながれることも承知しています。
言葉はひとつのツールにすぎない。

でも互いに物語を語り合って心がつながるのに、
こんなに便利なツールはないとも思うのです。
時代も空間も、国籍も性別も年齢も超えてつながれる
チカラがコトバにはあると信じています。

このツールに幼いころから馴染んで助けられて生きてきた私。
今度は微力でもツールを提供する側にまわりたい、
そう思っています。だからライターをしています。

ところで貴方がブログをする理由をたずねてもいいですか。
どうしてブログを書き続けるのですか。
アフィリエイトのため?将来に備えて?それとも自己表現?
もし前者だとしたら金銭的な不安を解消するツールのひとつ
として活用しているだけですか。
ではもしも十分なお金が手に入ったら、ブログは書くのを止めますか。

コトバのチカラを信じている貴方に質問したくなりました。