成功と失敗~それは紙の裏表のようなものであると気づく
書評の書き直し
今日も午前中いっぱいをかけて原稿に手を入れ、何とかまとまった原稿を
メールに添付して納品。
夕方メールボックスを確認すると、編集長からの書き直しの依頼が
届いていた。
はい、書き直します。
すぐに書くことに回せる時間と、明日以降のスケジュールを頭に思い浮かべた。
自分至上最高の時間をかけて書いたけれど、この結果には不満はない。
むしろすっきりと納得して、「NEXT!」と作業に取り掛かる気持ちになっている。
50メートル走のスタート前のように、私の体勢はできています。
今回は、何度違うパターンで書いてもしっくりこなかった。
ぴたりとパズルが嵌め込まれる、そう、あの感じが完成時に訪れなかったから。
白いキャンバスに油絵を描いていて、気に入らない個所に絵具を重ね、
妖怪じみたグロテスクなバラの花が現れ、びっくりして筆を動かすも、
薄汚い(と感じる)灰色のキャンバスが誕生するだけのような、
もどかしい気持ちが湧いてきた原稿。
編集長が書いてくださった言葉のなかに、私の違和感の答えがあった。
ありがとうございます。
厳しい言葉をかけてもらえることに感謝する。
特に私は母親だから、その有難みがよくわかる。
手加減なく真剣に向き合ってもらえるのは、
当たり前のことじゃない。
もう一度、原点に戻って書いてみよう。
楽苦しい(楽しい+苦しいを合わせた即席の造語)けれど、私ならできる。
長時間文字に取り組めることも証明されたし、何とかする。
企画書はすんなりと第一次通過
書評に時間がとられ、手を付けていなかった企画書依頼の方は、締切30分前に
仕上げこちらも納品。一時間もたたないうちに最初の関門通過のお知らせが届く。
所要時間は1時間半といったところ。
企画書は適当に書いてはいない。
幸い私の知識の引き出しにある素材を活かせば、形になるとひらめき
それに従ったらすんなりと書けたのだ。
この2つの結果は何を表しているのだろうかと考えてみる。
失敗は失敗ではなく、他の成功にねじれて繋がっている
・書くことに直接かけた時間と出来は、必ずしも比例しない
・企画書がすらりと書けたのは、これまでの私なりの文章作成の積み重ねが背後に
あったから
では、その積み重ねといえば・・一見無駄にみえる原稿への取り組みや、失敗から学んだあれこれ
私は目前の失敗を歓迎して受け入れる。
それは、より良いものを生み出す糧になることを知っているから。
いさぎよく頭を下げて、頂いたチャンスはきっちり生かし、この経験から学んだことを
身体にしみこませる。
より良い原稿を書き続けることが、編集長へのお詫びの気持ちであり、感謝の気持ちでもある。
雑誌の読者の方に向けて、書評を書かせてもらう、これはいうまでもないこと。
前からおぼろげにわかっていたけれど、私は貴方のために書評を書きます。
厳しさは大歓迎、優しさを内包する人からもらえる厳しさは特に。