palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

男のオフェンス(攻撃)、女のオフェンス(攻撃)

f:id:palewhite:20141123024247j:plain

離婚話し合いで受けた心のダメージと再生

先月の離婚の話し合いで、夫や母から私の覚悟が甘いと指摘され自分を否定された気がしていた。
こんままでは駄目、変わらなくては。
どんな風に・・とにかく強くタフに、この社会でやっていけると証明するの、一刻も早く。

涙が出たり、心の柔らかいところが土足で踏まれたことに感傷的になる暇なんてない。
前進あるのみ、そう以前働いていた頃のように「男のように考え2倍働く」をもう一度
実践すればいいだけ。何も考えず機械的にこなせば簡単なはず。

濃紺のスーツに身を包み、簿記や英語を勉強する時間を確保するための効率の良い段取りを考え、
目隠しをされた競走馬のように突き進む。上手くいくかに見えたが、でもそうはできなかった。

その現象を通して、現象のその裏に横たわる自分の心理状態にフォーカスして気づいたことがある。
このことに気が付かなければ、私は何度も違った状況でも同じ挫折のパターンを繰り返しただろう。
流した涙や通過した感情は無駄ではなかった、むしろ恩寵だったと今はわかる。

私にはおそらく幼少期に心にインストールされていた、今では不要な規則があった。

・自分はいつも相手に合わせなければならない。
・自分の意見と親の意見では、親の意見を優先させなければならない。
・親の気に入る決断・行動をとらなければ駄目。          など多数。

ひとつ言語化されるとどんどん出てくる。今も出てきた不要な規則をアンインストールしたり、
削除したりしている。その作業を開始しだすと、心がすっきりしてそこに空間が戻ってきた。

初期化された状態の真っ白な心に、今度は私が自分で好きな信条を上書きしていく。
その自由で快適な作業の中で、当たり前のことを発見した。
私は夫や母のいう通りに彼らのルールでプレイしなくても、戦わなくてもいい。
ルールは破るためにある。特に他人が本人の許可を得ずに押し付けたルールは。

少女漫画で知った言葉「男のオフェンスと女のオフェンスは違うのよ。」

男性女性と性差はあっても、働き方や能力の違いは個人差におうことが多いのではないかと
以前の私は考えていた。ただし体力的な違いは明らかだから、自分たち女性は気配りや2倍働く
といったやり方で社会に適応しなくてはと思って実行していた。
社会のルールに従うべし、変わるべきは女性側。
女性らしさというのは邪魔な要素で、切り捨てるべきものだとまで考えていた。

だけれど、私はもう今までの私ではない。
女性らしさという、いっけん弱さにつながるような要素を自分から切り離さなくてもいい。
心の柔らかい場所は踏み荒らされないように自分で守ってあげられるようになったから。
せっかくの心の花園を、わざわざブルドーザーでぺしゃんこに土をならさなくてもいい。
自分の中に娘や私自身を守る父的な面が出てきたことで、かえって安心して私は自分の女性らしさを
そのまま表現できるように進化した。私は繊細な自分をいとおしいと思っている。

この世の中で生きていくにあたり、
夫のオフェンス(攻撃)は、日本の世間、社会通念がルール。怖れと支配がまだ優勢。
食うか食われるか、一切れのパイを争う世界。そこで生きるためのオフェンス。

私のオフェンス(攻撃)は私の心がルール。そのルールは愛と感謝と喜びが根底にある。
攻撃なしで調和して生きていくことも可能。でも大切な人や自分が脅かされそうになれば戦う。
その戦い方はわたしのやり方でやらせていただく。

これからも、心をえぐられるような事に気持ちを動かされることがあるかもしれない。
出来事を俯瞰して見られるのが一番良いけれど、もしもそこで揺れても大丈夫、涙を見せてもいい。
攻撃に同じ攻撃でやりかえすのではなく、真珠を育む貝のように痛みから知恵を学び、
そして何度でも再生する。それは私が女性であるから。

攻撃は最大の防御なり。
もしかしたら防御は、敵に見えていた友へのハグに変わることもあるかもしれない。
前提が変わると意味も変わり、現象も変わってくる。
これから行動し、実践してみたらわかるはず。

強さだけでは不十分、優しさだけでは、それは弱さに変換されることもある。
強さと優しさを兼ね備え、より強靭にしなやかに変容できたから、
私は、自分が選択する瞬間を積み重ねて、現実を創造しながら生きていく。