palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

発信して受け取るということ 季節のグリーティングも時には人をつなぐ

反目していた相手からの新年のあいさつが届く

電源を切ってあったスマホをオンにすると、
丸い顔の玉が画面に浮かんでいる。
facebookメッセージ、メッセンジャーの表示だ。

それは輪ゴムが切れるように浮き合いが絶たれていた
相手からのものだった。
切れるとき、つながりはプツリと切れるものだ。

かつては互いの今後の仕事について意見を出しあえて
いた間柄が、どうしても歩み寄れない違いが生まれて
自分自身と相手への信頼が保てなくなり、慇懃無礼
やりとりを最後に音沙汰不通状態だった。

その相手からハッピーニューイヤーのメッセージが私に
届いたのだ。
これは相手なりの歩み寄りの気持ちの表れというものだろう。
もうかつてのことに、わだかまりはない。
これから相手の人生と私の人生が交差するかどうかは
わからない。

でもこの瞬間、新しい年が相手にとって良きものに
なりますようにと祈る気持ちは、たぶん一緒だと
感じる。
だから私も新年のあいさつを送る。

一度は親しんだ間柄で相手への敬意が残るときは、
電源を落とすような別れ方はしたくない。
人は致死率100パーセント。
不意打ちの別れがやってくることもあるから、
そのときに悔いが残らないように挨拶は、最後の
会話は、後味の良い言葉で締めくくりたい。

メッセ―ジを交わし未完了だった子ども同士の
意地の張り合いのような出来事を完了させる。
今回相手も私も相手に寛容になるレッスンをやってのけた。
メッセージを送信しても心は乱れず、口元には微笑が浮かぶ。
季節のあいさつは、こんな風にも使えるのを発見した。

勇気をだしてメッセージを送ってれてありがとう。
目指す世界や志が異なって共感が生まれなくても、
それでも貴方の在り方を尊重しています。
私と関わりがあろうがなかろうが関係ない。
幸せでいてくださいね。
言葉に書かなかったこんな気持ちが確認できて、
気持ちよく前に進めることに感謝。
さあ2016年に挑んでいこう。



あけましておめでとうございます。
ブログを読んでくださる皆さまに、
今年も良き年となりますようお祈り申し上げます。