私の原稿が、雑誌に掲載される
編集長からの連絡
ここ数か月コンタクトをとっていた雑誌の編集長から連絡が入った。
先方に提出した原稿の、雑誌掲載が決まったのだ。
雑誌に原稿が掲載されるのは学生時代以来25年以上ぶり。
あの頃も、生まれて初めて持った名刺や、雑誌の裏に編集補佐と肩書付きで
印刷された自分の名前が眩しく嬉しかったけれど、今回私の原稿が名前を記名して
掲載されることとなった歓びは、あの頃より深い。
周囲が知らないうちに、自然に文字を読めるようになっていた、絵本が大好きだった私はたぶん三歳。
北国でもないのに空想で書いたりんごの詩が新聞に掲載され、びっくりしたのは多分小学校4年くらい。
縛られた、管理された息苦しい家が苦しくて、新聞の求人欄を眺めて年齢制限に絶望し、高校をずる休みして
父の蔵書の臙脂色の表紙に、頁が茶色に変色した「風と共に去りぬ」を読み、気をとりなおした十七歳。
夫とのずれを何とか解消したくて、心理学系の本を読み漁ったここ数年。
いつも言葉に救われ、慰められ、希望をもらって生きてきた。
今回の原稿の内容は「書評」。再出発に相応しいテーマ。
著者の想いが伝わり、「この本を読んでみたい!」と雑誌を読まれた方が感じてくださる書評を
目指したつもり、どうぞこの気持ちが伝わりますように。
回り道をしてきた。
気が付くと不惑の年代になっていた。
でも、私はときめきを感じている。
これは異性に関するときめきや、欲しいモノを手に入れた時のときめきとは、違う。
このときめきは人生に感じるもの。私があきらめない限り、永遠に色褪せない。
「君には起業は無理」と言葉を投げかけられた。
どうぞ、ご自由に。微笑みを唇に、声にださない言葉で反駁する。
成功は人の数だけあって、たぶん貴方にとっての成功が私とは違うだけ。
私はもう惑わされない。傷つく言葉を投げかけられることも、
回数を重ねると応援に聞こえてくるから、不思議。
心ない言葉も、温かい励ましも、全てを糧として、私は新しい人生の頁を開いてゆく。
その頁に記されるのは、誰の書体でもない、私の書体で書かれる言葉。