palewhite’s diary

心模様は、日々さまざま。

お金との付き合い方

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ブロッコリーを陳列棚に戻す幼稚園のママ友

JA直販の野菜を売るお店に出掛け地元のブロッコリーを見た。
いつもは思いださないのに、ふと最後の夫の転勤先の名古屋で短期間
子どもの幼稚園の保護者同士として知り合ったママ友を思いだした。

しょうがない、来週の夫との話し合いを控え、ナーバスな自分もOK。

国内最大手の証券会社に勤務する夫を持つ彼女とは、娘の幼稚園のお迎えで
話し、業種は違えど同じ金融機関に勤める配偶者を持ち、自分も金融機関
勤務経験があるという共通項ですぐに打ち解けた。

大阪出身の彼女はざっくばらんで、ご主人の金銭感覚についてもその全てを
辛辣に、包み隠さず私に熱く語ってくれた。
「エグゼクティブな顧客を相手にする自分には、アクアスキュータムのコートが
相応しい。」
「女性社員も含めて飲む機会があれば、皆に自腹でタクシー代を渡すのは当たり前。」
ご主人は太っ腹な男気のある方なのだろう、たぶん。

ただ所得が一般的な平均年収より多少多かろうが、会社員は自営業者とは違う。
大盤振る舞いはクレジットカードがあるからこそできることであり、その妻は、
老舗百貨店の地下食品売り場で198円のブロッコリーを籠に入れた後、
「カードの引き落としが気になるから。」
と陳列棚にブロッコリーを返し、空になった籠を戻していた。

大阪が大好きだけど夫の転勤で東京で暮らしたが、東京には馴染めなくて甲状腺の病気を
発病した、今は名古屋で暮らせて嬉しいと、スターバックスで娘たちのお迎え前に話す
彼女は、夫の派手な出費に苛立ちながらも、同じ仕事をしていたが故に徹底的にそれを
やめさせることができずにいると語った。
普段自分は質素にしているが、馬鹿馬鹿しくなってブルガリの80万円の指輪をこの間
買ってやったと、同じく金融機関に勤める夫を持つ私に、理解をしてくれる人に出会えた
嬉しさに、彼女の生き生きとした早口の大阪弁は止まらないのだった。

それは、そんな気持ちになるよね、私もその気持ちはわかる。

「本当?そうやろ!!」
華やかな彼女が頬を赤くして、鮮やかな色の唇を童女のように開けてにっこりする。

うん、わかります。私はブルガリの指輪はあまりブランドには興味がないから買わないけれど、
夫が一晩で5万円キャバクラで使ってきたとしれっと呟いたときに、
「なんて貧しいお金の使い方をするんだろう。」
と、寂しくなったもの。

築35年以上の社宅で、名古屋に来てからひどくなった娘の鼻炎のため週に3回病院通いをし、
自分は働いていないからとお金はあっても自分で決めた枠内で暮らし、ユニクロのフリース
一枚を買うのに悩みコツコツと積み立てた娘の教育資金用だった貯蓄。
それがあなたのご主人同様、営業成績を上げるという名目で夫へ資金として流れていく。
何もかも嫌になったことあるもの。

「そうやろー、信じられへんやろう、あいつらは!!!」
「おのれはなあーって説教したりする。」
整った顔立ちの彼女は話が上手。頭が切れる方なのだろう。そんな彼女が静かにブロッコリー
棚に戻す姿に、その運命に逆らわない、しおらしい後姿にキュンとした。

お金と愛情と、うまく向き合えなかった頃

私たち家族が狭くカビだらけの社宅に暮らしているのが娘の鼻炎の重症化の原因なのは明らか。
だからたまには空気の良いところに2,3日でいいから転地というか旅行をしない?と誘ったら
「旅行は嫌いだ、飛行機も大嫌いだし。俺は毎日朝早くから夜遅くまで働いているんだから。」
とあっさり却下されて心がすうっと冷たくなった。

キャバクラに通っても、夫の瞳は乾いて荒んだ空気を身に纏わせていて、そこで気持ち良くお金を
使ってないことは私でも理解できた。度重なる接待と言う名の飲み会や、接待疲れ解消のための
個人的な飲み会。家族を置き去りに憎んでいるかのようにお金を消費する夫。
数字(営業成績)にこだわるのは、私も同じ仕事をしていたからわからないでもない。
馬鹿馬鹿しい「全国営業社員コンテスト」、さすがに今は廃止になっただろうか。
夫が転職をし、会社もまた合併したためわからない。

あの頃の私たちはお金とうまく付き合えず、一人はそれを怖れから浪費し、もう一人は不足を
怖れやみくもに貯蓄するという行動パターンに嵌っていた。
私は浪費する夫に悲しみを感じていたけれど、それは娘にと貯めたお金が夫に使われて悔しかった
からではない。そのお金を使うことで彼が喜びを感じ、私に一言感謝の気持ちを述べてくれさえ
すれば満足できた。生かされていないお金の使い方が切なかった。

結婚してから娘が誕生するまで、私が働いて得たお金は全て家族のお金として消えていった。
たいていその使途は、毎年強制されるディーラーからの新車購入協力要請に応じ新車購入資金
にまわり、へそくりもできなかったが気にならなかった。
二人で気持ち良く納得できるお金の使い方ができていれば、手元から飛び立った金額のことは
すぐに忘れたし、二人でいれば何とでもなるとわかっていたから何も怖くなかった頃。
そんなバランスが娘が誕生した後に崩れ、二人の時間が減るのと反比例するかのように浪費が
酷くなったのが彼女とお茶をしていた時期だった。

優しいお金との付き合い方

現在夫はすっかり田舎の平穏な暮らしに適応し、まっとうな金銭感覚を身につけたようにみえる。
あの刹那的にお金を粗末に憎むように消費していた頃より、瞳は穏やかになっている。
けれど今度は「お金がないとできることが少なくなる」という信念に囚われ結局のところ恐れからは
解放されていない。貯めるにせよ、使うにせよ、根底の想いが「怖れ」ベースの生き方。
彼はたぶん愛情を受けとり、表現する、愛情を渡すことも怖れて生きている。

私はといえば、お金を遣うことを怖れではなく喜びで受けとめられるようになった。
お金を払って得られる経験に感謝し、お金を貯めることも大切だとは思うけれど、
今はお金を手元から飛び立たせることを練習している最中。
子供服を買うときには胸をはってお会計を済ませていたのに、自分の洋服を買うときには
申し訳なく感じていた、夫と別居前の私。
今は過去に夫が分担していたお金を使うという立場に私がなっている。
私が私のために使うお金は温かい満足を胸に残してくれるので、私には怖れは湧かない。
私は「お金も愛情も出し惜しみせず循環させて生きる」ことを選択して毎日生きている。

JA直販のお店で、地元の新鮮な野菜を有り難くたっぷりと仕入れて帰宅する。
彼女は私たちが知り合った夏、またしてもご主人の転勤で町田市へと引っ越していった。
関東の生活はまだ続いているのだろうか。関西の支店勤務が叶っていればいいのだけれど。
ブロッコリーを見て切なくなったのは、物思う秋のせい?
時折蘇るあの頃の情景は、もう存在しない遠い記憶で心のアルバムには保存しない。
たぶん、来週からはブロッコリーを見てもいつもの私。